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今週の「稚譚・奇譚・恥譚」(2022年7月17日~7月23日)

●「政治家あるいは政党と宗教団体との問題・その2
▼「踊る宗教」の創設者、北村サヨの実孫の経夫氏は、2021年の10月の山口の参院補選で当選しているが、それまでは比例区で出馬し、現在3期目の安倍派所属。信者数は約50万人。
▼今回(2022年7月10日)の参院選で旧統一教会が全面支援した井上義行氏も安倍派。旧統一教会の信者数は、同教会によれば60万というが、実際はその10分の1の6万とされる。
▼「岸の政治哲学は『政治は力であり、カネだ』という一点に集約されるほど、力とカネの均衡を保つことで戦前から今日まで生き抜いてきた。」(「絢爛たる醜聞 岸信介伝」・p449)。ここの「力」は「数」を含む。「金権政治」の始祖は、岸信介氏と言われる。ロッキードの航空機疑獄は、なにも田中角栄氏ひとりの問題ではなく、岸信介氏に始まるとされるし、無論、ロッキードに限ったことではない。宗教もそのひとつである。
▼言わずもがな、宗教団体は「集票マシーン」である。因みに、2022年7月10日の公明党比例代表の得票数は6,181,431である。
7月22日。

●「政治家あるいは政党と宗教団体との問題・その1
▼岸家、すなわち安倍元首相の祖父の実家がある田布施町。その地に1947年1月、「天照皇大神宮教」(俗に「踊る宗教」とも)という新興教団が設立された。創始者は、北村サヨ(1900~1967)で、その孫が現在、参議院議員三期目の北村経夫氏である。2018年現在の信者数は約49万人、という。
▼北村サヨ氏の名前は、工藤美代子氏の著書「絢爛たる醜聞 岸信介伝」(2012年・幻冬舎)に数回出現する。「この日の模様を後年聞いている安倍晋三が、議員会館で話を付け加えてくれた。『北村サヨさんに私もかつて祖父と一緒に会いに行ったことがあるんですがね。この人にやられるとみんなウジ虫になっちゃうんですね。出掛ける朝、サヨさんがやって来ましてね、【ウジ虫ども、ナニをやっているんだ。岸は必ず十年以内に総理大臣になって帰ってくるんだ】って言われたと祖父から聞きました。そのときにね、【キチガイ婆ア、出て行け】って怒鳴ったひとがいたんだそうですがね、そしたらサヨさんが【お前、そんなことを言っていると三年以内に死ぬぞ】って言われて、本当に死んじゃった』」(pp226~227)。
▼第一次岸内閣組閣人事を熟慮中の折、その北村サヨが首相官邸和室に現れ、「サヨは黒い上着に黒のズボン姿でお供をつれたまま、和室の入りぶちにすでに立ったいた。『どうだ、岸、オレが言うたとおりになっちゃろうがア』 岸は正座したまま向き直って、『お蔭をもちまして』と鄭重に挨拶を返したのだった。」(同p372)
▼そして旧統一教会については、「むしろ、岸と韓国の深い関係を言うのであれば、世界基督教統一神霊協会の教祖文鮮明との親交をもって『深い関係』と言うべきかもしれない。同教団は昭和四十三(一九六八)年に、日本にも政治組織、国際勝共連合の日本支部を立ち上げ、その普及に乗り出した。その際、日本支部設立に尽力したのが岸であり、ほかに笹川良一や児玉誉士夫の名前が挙がっている。」(同p442)
7月21日。

●「あやふやな猥褻な日本国
『辣腕外交官』と呼ばれた重信がマルクスを繙いたのは、アラブに渡ってからだった。」(2022年6月9日の週刊文春・pp127~131)。
▼60年安保改定の時、総理大臣官邸や国会周辺を取り巻いたデモの人数は30万超とも。その群衆のなかで、昭和憲法条文や1952年発効の日米安全保障条約、そして60年安保改定の条文をつぶさに読んで改定の意義を考えた輩はいかほどなのか。
▼凶弾に倒れた安倍晋三元首相が、2017年5月の衆議院予算員会で憲法改正に関連した質疑において、「自民党総裁としての考えは読売新聞に相当詳しく書いてある。ぜひ熟読してほしい」、と答弁していた。政治(家)が主義信条はもとより卓越した決断力と実行力が求められることは百も承知であるが、凡夫にも分かりやすく説明できることが同等に重要だ。
▼ノーベル賞候補と比較するのもなんだが、1969年5月13日に東大駒場の900番教室で開催された「三島由紀夫vs東大全共闘」の討論集会における、三島由紀夫の誠実な姿勢が、あの青年たちへの情愛とユーモラスが、ふと浮かんだ。
▼冒頭の重信房子と60年安保改定のデモに参加した輩の問題は、私を含めてより深刻だ。日本を、自分を守るには、政治家におんぶにだっこでは無責任すぎる・・・・・・ということだ。
7月21日。

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