コンテンツへスキップ

今週の親仁ギャグ・2018年8月19日(日)~8月25日(土)

一茶の里の次は南西へ降って長野市の善光寺であります。長野市では「東山魁夷美術館」を一番に訪ねたかったのですが、生憎この1~2年はリニューアルとかで休館中なのであります。善光寺と言えば最近、住職のパワセクハラスキャンダルで脚光を浴びました。本来は、「特定の宗派に属することなく、独自の信仰的存在として信仰を集め、善光寺詣でが盛んに行われた」歴史があり、「現在は僧寺の大勧進(天台宗)と尼寺の大本願(浄土宗)が共同管理している」(三省堂スーパー大辞林)寺であります。善光寺のホームページには、「信州善光寺は、一光三尊阿弥陀如来様を御本尊として、創建以来約千四百年の長きに亘り、阿弥陀如来様との結縁の場として、民衆の心の拠り所として深く広い信仰を得ております。(略)戦国時代に入ると、善光寺平では武田信玄と上杉謙信が信濃の覇権を巡り、川中島の合戦を繰り広げました。弘治元年(1555年)、武田信玄は御本尊様や多くの什宝、寺僧に至るまで、善光寺を組織ごと甲府に移しました。その武田家が織田・徳川連合に敗れると、御本尊様は織田家、徳川家の祀るところとなり、最後は豊臣秀吉が京都・方広寺の御本尊としてお奉りいたしました。そして、秀吉の死の直前、如来様がその枕元に立たれ、信濃の地に戻りたい旨をお告げになり、それによって慶長三年(1598年)、四十数年ぶりに善光寺にお帰りになられました。」とあり、それ以前の鎌倉時代には源頼朝や北条一族、浄土真宗宗祖の親鸞聖人、時宗宗祖の一遍上人も参拝に訪れた名刹中の名刹なのです。宗派にこだわらないことから民衆に広く慕われているのですが、「牛に引かれて、善光寺参り」という諺があることでも、その愛されようが知れます。この「牛に引かれて、善光寺参り」とは以下の昔話に由来しますが、ストーリーは必ずしも唯一無二ではないようです。ここでは「福娘童話集」を掲載します。

 むかしむかし、布引山(ぬのびきやま)という山のふもとのある村に、とてもケチなおばあさんが住んでいました。
 おばあさんは、いつも一人ぼっちでしたが、それをさびしいと思った事は一度もありません。
(誰かと仲良くしたら、お茶やお菓子を出して、わしが損をする。それに家にあげれば、部屋が汚れる。だから、一人がいい)

 さて、今日は村の近くの善光寺(ぜんこうじ)というお寺で、お祭りがある日です。
 おばあさんが庭で白い布を干していると、お祭りへ行く村人たちが声をかけて来ました。
「おばあさん、今日は善光寺へ行く日よ」
「ねえ、みんなとお参りしましょう」
 でもおばあさんは返事もしないで、白い布を干し続けていました。
「やれやれ、やっぱり駄目か」
 村人たちは誘うのをあきらめて、行ってしまいました。
 その後ろ姿を見ながら、おばあさんは言いました。
「寺に行って金を使うなんて、もったいないねえ。それにわたしゃあ、神も仏も大嫌いさ。拝んだところで、腹一杯になるわけじゃなし、お布施(ふせ)を取られて大損だよ」
 するとその時、どこから来たのか、おばあさんの目の前に大きな牛が現れたのです。
「うひゃーっ!」
 おばあさんがびっくりして声を上げると、その声に驚いた牛が、おばあさんの干していた白い布を角に引っかけて駆け出しました。
「ああ、こら、待て!」
 おばあさんは、牛を追いかけます。
 牛は白い布を角に引っかけたまま、どんどん走って行きます。
 その早い事。
 菜の花畑を駆け抜けて、桜林を駆け抜けて、まるで風の様に走ります。
 そして牛は善光寺まで来ると、門をくぐって境内へ走り込みました。
 その後を、おばあさんも叫びながら走り込みました。
「こらー! 牛ー! わたしの布を返せー!」
 ところが不思議な事に、牛の姿が突然消えてしまったのです。
「ああ、わたしの布が・・・」
 がっかりしたおばあさんは、その場へ座り込みました。
 もう疲れ切って、へとへとです。
 するとどこからか、やさしい声が聞こえて来ました。
 それは、お経を唱える声です。
 その声は、おばあさんをやさしく包み込みました。
 それはまるで、春の光が体の奥からゆっくりと広がって行く様です。
「おや、こんなにいい気持ちは初めてだ。心が暖かいよ」
 おばあさんは、目を閉じました。
 するとおばあさんの目から、涙がどんどんあふれました。
 その涙は、おばあさんの心をきれいにしていく様でした。
 やがてお経が終わる頃には涙も止まり、おばあさんの心はすっきりと晴れていました。
 おばあさんは、生まれて初めて手を合わせました。
「きっと仏さまが、わしをここへ連れて来て下さったんじゃ」
 それからというもの、おばあさんは村人たちに優しくする様に努めました。
 出来る手伝いがあれば、自分から進んで手を貸しました。
 そうすればするほど心が暖かくなるのを、おばあさんは知ったのです。
 おばあさんは、もう一人ぼっちではありません。
 いつも村人たちに囲まれる、心優しいおばあさんになったのです。

 さて、その事があってから、布引山には白いすじが見られるようになりました。
 それはおばあさんの白い布を引っかけて走って行った牛が白い布を山に残して、それがそのまま白い岩になったのだと言われています。

おしまい
8月19日。

先頭へ