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今週の親仁ギャグ・2018年4月15日(日)~4月21日(土)

●「」は天皇が御座します処であります。それが「」となり「」となったのでしょうか。やはりそうであります。「都」「は「宮処」の意であり、皇居のあるところです。今上天皇が御座す処は、もちろん東京ですが、明治までは京都、それ以前は下記のように奈良を中心としていました。紀元節2600年が昭和15年の、西暦1940年であります。これより計算すると神武天皇の即位は紀元前660年ということになります。紀元前660年はBC7世紀であり、日本の時代区分では「縄文時代」です。その縄文時代は約14000年前からBC4世紀の間を言います。そのあとの「弥生時代」がBC4世紀から紀元後(AC)3世紀(250年頃)です。弥生時代の後が「古墳時代」であり、250年から592年の間。592年から710年が「飛鳥時代」となり、その後の710年から794年が奈良時代です。その後は言わずと知れたことで、2019年からまた新たな年号(時代???)がスタートすることになります。「一天皇一元号制」でありますから、後世の歴史家は大正と昭和と平成(それに新元号)を合わせて「〇〇時代」と名付けるのでしょうが。

 上記の「古墳時代」でありますが、最近ではこの時代を「大和朝廷」とも呼ぶそうす。もうひとつ「大和時代」の区分が設けられており、これは神武天皇即位のBC660年から平城京遷都のAC710年までとし、その最後期の592年から710年を、とくに「飛鳥時代」「と呼んでいるようです。つづく。4月20日。

●天孫降臨(高千穂峰)と神武天皇東征の船出の地である美々津の位置する宮崎の県人としても、都の変遷を年代ごとにたどって奈良散策を所望するところですが、いかんせん時間の制約が絡んできます。そこでまずは遷都の年代と場所と、それにその時の天皇について復習してみましょう。

643年:飛鳥板葺宮・皇極天皇
645年:難波長柄豊崎宮・孝徳天皇
655年:飛鳥宮・斉明天皇(皇極天皇)
667年:近江大津宮・天智天皇
672年:飛鳥浄御原宮・天武天皇
694年:藤原京・持統天皇
710年:平城京・元明天皇
740~745年:恭仁京、難波宮、紫香楽宮、平城京・聖武天皇
784年:長岡京・桓武天皇
794年平安京・桓武天皇

 これ以前は縄文時代(新石器時代)→弥生時代(稲作伝来~)→古墳時代(3世紀半ば過ぎから7世紀末までの約400年間)。卑弥呼(生年不明~247年あるいは248年)の邪馬台国は弥生時代の最末期。飛鳥時代は6世紀末から平城京の710年までで、一部古墳時代と重なる。邪馬台国(2~3世紀)の所在地については九州説など諸説あるが、最近では奈良の桜井市付近の纏向遺跡との畿内説が有力となっている。つづく。4月19日。

●今回は2回目の奈良。大概の日本人は、修学旅行や家族旅などで一度は奈良・京都の地を踏んでいるであろうが、私の家は貧乏なので高校の修学旅行にも行けませんでした。むろん家族での旅行なんて只の一度きりでした。小学校低学年の青島と記憶してます。そういう訳で、大学受験も県内のみ、受ける前から浪人はダメと親に強く言われていました。お蔭で、就職するまでの奨学金は1千万円を優に超えていました。(授業料は10年間免除でした)。(奨学金は数年前に全額返納)。バイトもやりまくりました。むかしの恨み話をしている場合ではありません。そうです、奈良の話です。旅の収穫は事前の勉強(予習調査)に左右されます。奈良と京都は、とくに奥が深い。歴史を調べ知識が増量するほどに一度や二度で征服できるようなキャパでないことが識れます。そこで奈良や京都の旅を一時に制覇しようものなら、最低でも1週間か2週間の滞在が必要でしょう。それができない現況では、有名(人気)どころから摘み食いをするしかありません。前回の奈良旅は7月でした。それも当日に東京で飲み会があったので、東大寺と法隆寺を見た後、大阪の司馬遼太郎記念館に立ち寄っただけで新幹線で上京しました。2度目の今回も吉野の桜や高野山がメインだったので奈良市内は数カ所に限られた旅でした。つづく。4月19日。

今月の旅は奈良市と吉野山、九度山に高野山に紀ノ川に大坂・・・・・・でした。分かっていながら、散り散りの吉野の桜を見てきましたが、再訪が必要のようです。旅程は大阪伊丹から高速バスで奈良市へ→(レンタカー)興福寺→平城宮跡(車窓)→唐招提寺→薬師寺(車窓)→吉野山・奥千本まで→橿原市(泊)→(2日目)橿原神宮前(車窓)→九度山・真田庵高野山・金剛峰寺・奥の院→紀の川市・華岡青洲の郷→和歌山市(レンタカー返却)→(特急「くろしお」)大阪市(泊)→大坂城緒方洪庵適塾→大阪市散策→伊丹から帰宮・・・・・・でした。つづく。4月15日。

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