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今週の親仁ギャグ・2018年1月21日(日)~1月27日(土)

姫路城の譚。2015年の松江城の国宝指定によって、現存天守の「国宝5城」は姫路城、彦根城、犬山城、松本城、松江城。今回の姫路城訪問で3城を征服。あとの2城は数年前訪問の彦根城と25年前の松江城。次は松本城と決めているのですが、会津若松以来、雪国は真っ平御免です。長野は松本城の他、善光寺、真田の上田城址、東山魁夷美術館(現在建て替え中で閉館中)、小林一茶生家、蕎麦の戸隠、それに甲府側からの富士山・・・・・・などと魅力がたっぷり満載であります。ところで天守が現存の城は、「国宝5城」を含め12城あります。そのうちの4城が四国であります。松山城に宇和島城に高知城に丸亀城ということです。龍馬記念館も只今、リニューアル中であります。もとにもどっての姫路城の譚。姫路城には「お菊井戸」・「姥が石」・「宮本武蔵の妖怪退治」・「お夏・清十郎」などがありますが、なんといっても悲劇は「棟梁・桜井源兵衛の自殺」でしょう。池田輝政の命で9年間、棟梁として姫路城の築城に尽力した男です。完成直後、彼には城が南東(巽)の方向に少し傾いている気がしてなりませんでした。これを妻に「お城は立派ですが、惜しいことに少し傾いていますね」と指摘され、「女の目に分かる程の傾きなら自分が計った寸法が狂っていたに違いない」と愕然となり、彼はノミを口にくわえて天守から飛び降りたのであります。事実、城の傾きは解体修理で確かめられ、原因は東西の石垣が沈下したためでした。その傾きは、昭和の大修理(開始は1934年=昭和9・大戦を挟んで1950年に再開・1956年から1964年まで大天守等の解体修理)前の調査で、本来の東大柱の中心線から東南方向に約37センチでした。最初は小さかったかもしれませんが、長い年月で37センチに至ったのでしょうか。仕事師の責任感の極みである。1月24日。

錦鯉の譚。小西養鯉場の水槽やコンクリートで仕切られた池には、それはそれは大小多くの、そして色とりどりの錦が所狭しと泳いでいました。風にゆうゆうとたなびく皐月の鯉のぼりも綺麗でありますが、それとは比べ物にならないほどの華麗さであります。覗き込むと餌を欲しさにおちょぼ口をめいめいに開けてねだる仕草は可愛さで心がとろけてしまいそうです。鯉の色については、ふつうの黒色は真鯉、烏鯉、黒鯉と呼ばれ、野生の鯉は野鯉というそうです。赤い鯉は緋鯉ですが、観賞用の錦鯉については、その模様で多くの品種があります。最近では鱗が大きくて部分的にしかないドイツ鯉も移入され、それとの交配で品種改良も進んでいるそうです。色鯉については、4世紀の西晋時代の書物に登場しているそうですが、錦鯉の養鯉については、19世紀の新潟県小千谷市と旧山古志村が世界で最初と云うことです。その始まりは、農民が田圃で、一部の鯉が他のものより明るい色をしていることから気づいたそうです。そうすると、錦鯉は突然変異的な要素があるということでしょうか。明るい色の鯉は目立つため鳥などに捕食されやすいので生後早くに淘汰されたということでしょう。ところでいろいろ調べてみると、鯉の寿命は大変に長いんであります。錦鯉は、雄が2年、雌が4年で成魚になり、最低でも20~30年くらい、飼育環境次第では50~70年は生きれるそうです。日本最長寿は、岐阜県東白川村の池で飼育された1751年生まれの「花子」という緋鯉が226歳まで生きたそうです。むろん水がきれいでなくてはいけ(池)ません。山から水を引いてくるか、山間で飼育するしかないということです。ちなみに先週の親仁ギャグの錦鯉の写真の年齢は6~7歳ということでした。6~7年で大きいものは20キロ位に成長するそうです。それにしても頭頂だけが真っ赤の「赤ヘル」錦鯉3匹が一緒の水槽で泳いでいましたが、なかなかシャッターチャンスを与えてくれませんでした。そこで思ったのですが「恋は気まぐれ」・・・・・・いやいや(否否)「鯉の気まぐれ」・「鯉が気まぐれ」」・・・・・・鯉も気まぐれな奴らでした、という譚。「色恋(色鯉)は(も)奥が深い」んであります。そうそうこの「小西養鯉場」さん、外人さんの観光客も多いそうです。1月21日。

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