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今週の親仁ギャグ・2015年5月31日(日)~6月6日(土)

●集団的自衛権の行使は完全な違憲。「『自衛隊の活動範囲を拡大すれば、戦闘行為と一体化しないのか』との問いに、『戦闘地域と非戦闘地域の区別をなくしてしまうと、指揮官の判断に委ねられる。武力行使の一体化が生じるおそれが極めて高い』(長谷部恭男氏・早稲田大学教授)、『一体化そのもの。兵站なしには戦争できない。露骨な戦争参加法案だ』(小林節氏・慶應大名誉教授)、『後方支援で兵站を担うことについて、大きな疑問を感じている。小林先生の説明に、私もそう思う』(笹田栄司氏・早稲田大学教授)」。3者とも、現に戦闘行為が行われていない現場以外での後方支援は武力行使と明言。菅官房長官の言う「安保法制は合憲」と主張する憲法学者百家の審査会出席を願いたいものだ。6月5日。

●今日のイチバン。「自民党や公明党などが推薦した早稲田大の長谷部恭男教授は審査会で、安保法案について『憲法違反だ。従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかない』と明言した。」(産経新聞)。親仁の5月29日のボヤキ・・・●野党も嘗められたもんだ。夜会の「出席者によると、安保関連法案の審議について『野党の攻め方は下手だ。自分たちが野党ならもっとうまくやれる』などと野党側を批判したという。また、安倍首相は質問の内容について『同じことばかりだった』と話していたという。」(日テレNEWS24・5/29 1:39) 。どの野党も同じことを質問して安倍ちゃんもオウム返し的に同じような答弁に終始していたのは確かだ。憲法9条はどこへ行ったのだ・・・が素朴な疑問だな。憲法を無視するような立法機関が存在してよいのか・・・正々堂々と国民投票で憲法(9条)改正をしてからの(安保関連法案の)審議であっても遅きに失せずだろう。5月29日。アメリカがつくった押しつけの新憲法という安倍ちゃんでしょ、アメリカは憲法改正が困難(できない)であるべくハードルを高くした・・・という説があるが・・・それならそれを逆手にアメリカのプレッシャーをはねのければいいことでしょ・・・。イケンものは違憲。6月4日。

●3日のフィリピン大統領を招いた宮中晩餐会の注目は○子さま(内親王)の衣裳だったが、期待に反して見せブラかすのドレスでした。中国の「三」は「孟母三遷」に「三顧の礼」(前出・半藤一利「三という数字」)。今回の「東方之星」転覆事故は「三国志」に登場する湖北省荊州は「赤壁の戦い」(208)のあったところ。魏の曹操軍と蜀漢の劉備(161~223)・呉の孫権(182~252)の連合軍が対峙して戦った「赤壁の戦い」。劉備の参謀(軍司)、諸葛亮孔明(181~234)は東南の風を吹かせるため祭壇を作り祈祷して東南の風を生ませ「火計」によって曹操の兵船を焼き払ったという史実(脚色は種種あろうが)。それだけこの地域は風の強いところなのだろう。ふと、数年前読破した吉川英治(1892~1962)「三国志」(新潮文庫・全10巻)を想起した。そうそう、「三顧の礼」は劉備玄徳が諸葛亮孔明を参謀に招くため三度、孔明の居を訪問し懇願したことから生まれた故事成語・・・ですね(常識ですが)。6月4日。

●日本人だけなのか中国人もなのか、世界中のことなのかわかりませぬが、人間は何でも三分類が好きなのでしょうか、「三」という数字が好きなのでしょうか、三段階に区別したがるんですね。そうそうトレンディーなところでは、皇室の女性でいうといま話題沸騰の「○子」さまは三大美人画家(画風)のうちの誰でしょうかね。ヒントは軽井沢でタンクトップに青いストラップを剥き出していた方ですが・・・。ここからは真面目な話ですが、半藤一利の「昭和史を歩きながら考える」(PHP文庫)に「三という数字」という二ページ(「言葉のコラム」pp194~195)の短文がある。それによると、「三日坊主」・「石の上にも三年」・「仏の顔も三度」・「商い三年」・「櫂は三年艪は三月」・・・出世するには「運・鈍・根」が必要で、女性が美しく見えるのも「夜目・遠目・傘のうち」、「見ザル・聞カザル・言ワザル」(三ザル=猿主義)は「人の短所を見ない・人の非を聞かない・人のあやまちを言わない」という戒めの処世術。つづく。6月3日。

●寂聴(1922~)先生を嫌っているわけではありませぬ。時に文庫本を買ってはみますが、半分ぐらい読んだら疲れますね。読破不可。美人画に例えるなら鏑木清方(1878~1972・文化勲章)の描く女性ですね。因みに佐藤愛子(1923~)は上村松園(1875~1949・1948年女性初の文化勲章)、向田邦子(1929~1981)は伊東深水(1898~1972・女流朝丘雪路は実娘)といったところでしょうか。松園自身が「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」というように、松園の描く美人は上流階級で良家の女性である。「西の松園、東の清方」と言われる鏑木は、東京の下町風俗や当世風の美人を得意とし、今風には風俗の女性ということだ。清方の弟子の伊東深水は分かり易く言えばその中間的な普通階級の女性を描いた。どうでしょうか・・・現代三大女流作家を三大美人画家への親仁流比喩。この3人の本は女性の本質を垣間見る努力として利用させてもらってますが。つづく。6月2日。

●「愛し書き祈る~瀬戸内寂聴 93歳の青春~」は5月14日(木)のNHKクロ―ズアップ現代。寂庵で瀬戸内寂聴が近況を語る趣向である。瀬戸内寂聴は言わずもがな作家で尼僧である。その生きざまが俄かにクローズアップされている。3月号の文藝春秋によると、昨年5月、満92歳で脊椎圧迫骨折を患い、骨セメント注入療法の施術入院中、胆嚢癌が発見され全身麻酔下で腹腔下手術を受けた際、その全身麻酔で「無の境地」を体験したのだそうだ。「その全身麻酔が何とも言えず気持ちがよかったのです。麻酔が効きはじめると、だんだん全身が甘い感覚に包まれてきて、フーッと意識が薄れていく。本当に気持がいい。『死ぬ瞬間もこうなら、死とは素晴らしいことだ』と思えたほどの気持よさでした。・・・全身麻酔で意識が遠のきながら『ああ、これが無か』と思ったのです。『これが無なら、死とはなんて甘美なものだろう』・・・それに全身麻酔で味わった『無』の感覚があんまりいい気持ちだったので、もう少し確かめたい気持があります。・・・」(文藝春秋2015年3月号「九十二歳の大病で生死観が変わった」・pp150~157)。「無」を希求してそれを説法すべき僧侶の本音吐露でしょうか・・・興味深いですね・・・というか、流石は不良女流作家の寂聴先生ですね。つづく。6月1日。

●先の日中戦争の「悲劇の導火線」となった1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋事件もなにやら怪しい。7日夜、日本陸軍歩兵第1連隊第3大隊の中の第8中隊が、北京郊外の盧溝橋付近で夜間演習を行っていたところ、数発の銃声が鳴り響き、1人の兵士が行方不明となった(やがて無事発見)。近くには中国軍も駐屯しており、第1連隊長の牟田口廉也大佐は銃声の原因を中国軍として不法射撃の陳謝を求める交渉を命じた。がしかし、その最中に中国兵が攻撃を仕掛けたため、日本軍も応戦。これが日中戦争(支那事変)の端緒である。遠く離れた異国の地、それも北京郊外まで攻め行っての「言いがかり」というか「イチャモン」で太平洋戦争終戦まで長い戦火の火蓋が切られ、その前後を含めて中国人1千万人の生命が奪われたのだから、米欧もロシアも挙って同じような侵略(租借)をしていたではないかと言っても、日本は日本国であり他国の行為をして日本の罪が一寸でも減免されるものではない。これが日清戦争(遡れば征韓論)から日露戦争、そして15年間の日中戦争の日本が負わなければならぬ黒く厚い影であろう。通告無視の開戦は卑怯者、日本人の専売特許であり、世界が識る日本にとっての憂鬱な恥部である。5月31日。

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