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今週の親仁ギャグ・2013年10月13日(日)~10月19日(土)

●アメリカの獣医大学の話をしよう。基本は4年生の大学を卒業(学士取得)して、獣医大学の入試に必要な科目の単位をもらい、合格すれば4年の積み上げである。大学で取得した単位は一生涯ついて回るから、仮に一旦社会人になって一念発起して獣医大学に入学したければ(必要な科目の単位がそろっていれば)入学試験の受験資格がある。実際、親仁がジョージア大学に留学していた折、子育てが終わってから入学したという50代の女性がいた。今回の大学入試改革案は、センター試験成績をランク分けし、2次試験は面接を主とするものであるようだ。いっそ、そのランクが一生を通して有効とし、一度社会の荒波に揉まれた後、欲すれば大学受験できるシステムまで発展させてはどうだろう。そうすれば、多感な青春時代を3年も4年も予備校の机にしがみついていることはなかろう。大学側も18歳か20歳くらいの若蔵の「魅力」を面接だけで見分けることは至難の業だ。勢い、女子であれば美貌で、男子であればいわゆる口先だけの好青年で合否を下すことになる。面接官の大学教官陣もどちらかというと世間音痴なので、彼らに全権を委ねるのも不公平で危険極まりないことだ。つづく。10月17日。

●秀吉はともあれ「読み書き算盤」ができた。読み書き算盤がまったく駄目だったら天下統一は成し得なかった。今でも義務教育の内容を8割マスターしていれば普通の稼ぎと生活は可能である。動物病院でも、カロリーやフード量の計算をする時、1次方程式の理解は必要である。余程の専門でない限り微分積分を要求する会社は特殊である。国語力も新聞が一通り読めれば飼い主の名前も呼び間違うことはない。英会話も優しい外人さんが多いので、中学終了の学力があれば手ぶり身振りで分ってもらえる。つづく。10月17日。

●大学入試改革は、1点どころか20~30点、あるいはそれ以上の差であっても、学力試験だけでは「人生を渡り切る全能」を評価できないということだ。これだけ再分化した時代にあって、「個々の能力も多岐に亘る」のであるから、「ペーパー試験」だけで人生の勝敗を決するのはかえって危険であることの裏返しということか。さきの秀吉の幼少期ではないが、戦国の世、太閤が幼少から先見の明があったかどうかは別として、少なくとも秀吉の母(後の大政所)が食い扶持を減らすために寺を選んだのが偉かった。当時、寺の小者小僧は文字を学べたのである。実父、木下弥右衛門が病死し、後婿の竹阿弥(ちくあみ)に疎まれなければ、寺の小僧として読書きを習うことも無かったであろう。信長の草履取りから参謀にまで出世した時期の「文」がいくらか稚拙であったにせよ、全国60余州を制して関白太政大臣上りつめた礎はこの小僧の幼年期の生活にあったのであろう。その後の秀吉は生活の拠点を求め尾張をはじめ三河、駿河などを渡り浮浪するが、その中途では(縫い)針の行商をしては飢えをしのいでいたという。(「新太閤記」参考)。商人(あきんど)としての才能も附帯していたのである。「日本史上、もっとも巧みに人の心を捉えた”人蕩し”(ひとたらし)の天才」、秀吉を我ら”凡人”と比すのも気後れというものだろうが、主に記憶力が物を言うペーパー試験だけで人物評価を下されたら堪ったものじゃない。人間の能力にはひとそれぞれ多種多様な才能を持ち合わせて出生しているのであって、それを何時、何処で、どのように発見発掘して花を咲かせるかということだろう。「発見発掘」が第一で、それは坐して参上するものでないので、自分で自らの体験で覚醒させ起動させるしかない。つづく。10月15日。

●「『内々の御状うけ給候、いまにはじめざると申ながら、御懇意だんぜひにをよばず候、其方のぎは、我らおと々の小一郎めどうぜんに心やすく存候間、なに事をみなみな申とも、其方ぢきだんのもて、ぜしは御さばきあるべく候、此くに々於いては、せじよからば、御両人の御ちさうのように申しなし候ま々、其方も御ゆだん候ては、いかがに候間、御たいくつなく、ぜし御心げけ候て、御ちそうあるべく候、御状のおもて一々心え存候 かしく』(原文のまま)それから二伸として、『この文みへもすまじく候間、さげすみ候て御よみあるべき候』(原文のまま)とあり、ちくぜん(筑前守)と秀吉の署名があった。おそろしく読みにくい文章だった。しかし官兵衛は心を打たれた。」(「軍師の境遇」・松本清張著・p59・角川文庫を引用)。これは言わずもがな秀吉が黒田官兵衛に宛てた文である。秀吉は尾張国中村の木下弥右衛門の子として生まれた。弥右衛門は「若いころ村を出て古渡へゆき織田家に仕えて足軽奉公」(「新 太閤記」・司馬遼太郎・新潮社・p28)をしたが、戦場で負傷し村に帰って百姓をはじめ、結婚(母は後の大政所)して生れたのが秀吉。(百姓の倅で)識字の必要のなかった秀吉(幼名は日吉丸、初名は藤吉郎)は15歳で松下之綱、後に織田信長に仕える前の幼少の頃から、既に文字を読み書きでき金の勘定も出来た。つづく。10月15日。

●「ゆとり教育世代」真盛りの最近の大学生の能力は量り難い。1浪、2浪はざらで、人によっては3浪も4浪もしているから、高校を2回も3回も卒業した格好だ。予備校も高校での「教える力」を凌ぐという。最近、「政府の教育再生実行会議(座長、鎌田薫・早稲田大総長)が、国公立大入試の2次試験から『1点刻みで採点する教科型ペーパー試験』を原則廃止する方向で検討することが分かった。同会議の大学入試改革原案では、1次試験で大学入試センター試験を基にした新テストを創設。結果を点数グループでランク分けして学力水準の目安とする考えだ。2次試験からペーパー試験を廃し、面接など「人物評価」を重視することで、各大学に抜本的な入試改革を強く促す狙いがある。実行する大学には補助金などで財政支援する方針だ。」(下村博文文部科学相への毎日新聞単独インタビュー)(毎日新聞10月11日)という報道があった。なるほどわれわれ事業主ばかりでなく大学側もかなり困惑困窮しているのであろう。週刊誌によれば天下の東大生ですら、たとえば文系の二次試験で数学が200点の数十点(これは赤点だ)でも合格できるという。それに加えて東大入学者のうち裕福な環境で育つ都市圏の割合が高まっているともいう。さらに、実益を考慮して東大などの有名大学よりも医学部志向へと変化しつつあるらしい。平均寿命が著しく延びて若い時の数年は確かに大した年月ではなかろう。がしかし、精神が瑞瑞しく感受性豊かな青春真只中、昼夜を問わず机にしがみついているのもどうやらだ。「一円(銭)を笑う者は一円(銭)に泣く」ではないが、「一点に泣く者は一生を逸す」ではあまりに惨めで立つ瀬がなかろう。つづく。10月14日。

 

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