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今週の親仁ギャグ・2013年8月11日(日)~8月17日(土)

少し右寄りの人は、①大陸への侵略戦争を否定し、②南京大虐殺なんてとんでもない、③柳条湖事件も中国(張学良)軍のしわざだと言って憚らない。出征した人も戦没遺族者も戦争体験者も・・・安倍晋三内閣総理大臣も・・・誰もが戦争を2度としてはならない、戦争の無い平和な世界を・・・と言うが、日中戦争から太平洋戦争で日本軍はどのような軍事作戦行動を展開したのか、真実が知りたい。真実が分らない以上、正しい歴史認識もへったくれもない。安倍首相はしきりに歴史家の研究に委ねるしかないとおっしゃるが、では(右寄り左よりの歴史家混成の)専門委員会を設置して懸案をひとつひとつ紐解いて結論を出すしかないであろう。白黒付け難いことも多多あろうが、それは2つの戦争に従軍した人たちの意見を聞き、また当事国同士が違異を擦り合わすしかないであろう。中国や韓国、あるいはその他のアジア諸国の主張に間違いがあるやもしれない。先ずは日本人による日本側から見た正しい歴史見解を明らかにすべきである。そうでない限り、この問題は半永久に解決しないし、領土問題にしても経済にしても影武者的存在として立ちはだかる。今日は昭和20年8月15日の昭和天皇の詔勅である玉音放送から数えて68回目の8月15日。安倍晋三総理大臣も1954年9月21日生まれの戦後派で現在58歳。戦争が終わって生れた世代だ。いつ頃どこで誰にどのようにどのような戦前戦中の歴史教育を受けてのであろうか。可能なら親仁にも薫陶してもらいたいものだ。「近隣に嘗められてはいかん」とか「愛国心に欠ける」等と、「真実の(=正しい)歴史(認識)」とは別次元の問題だろうつづく。8月15日。

●今日は68回目の終戦記念日。12時には黙祷。戦争で死んだおよそ320万人の日本人に敬意を表する日だ。前安倍政権の「痛恨の極みは8月15日に靖国に参拝しなかったこと」。それが中国や韓国の反発で取り止めとなった。侵略戦争や慰安婦問題に対する歴史認識に大きな相違点があるからだ。きのうの毎日新聞の1面・24面に「旧日本軍作戦の記録写真 46枚発見上海近郊『ゲリラ掃討』」の記事。1980年代半ば、朝日新聞の宮崎支局が同新聞に掲載した都城23連隊の南京(大)虐殺の記事に内容が酷似。当時朝日は持ち込まれた写真が偽物であることは認めたものの、宮崎県出身の上等兵が記した日記の内容については筆跡鑑定など行わず、連隊側との話し合いは有耶無耶で終わった。掲載写真の場所は上海近郊の銭家草という所。南京とは微妙な距離なのか否か。親仁の知識と毎日新聞記事を混ぜて要約すれば、「1938年の日中戦争の最中、中国軍兵士が農民などに変装してゲリラ化し、市中に潜んでいた(日本の言い分?彼らを土匪と称した)のを掃討して、家に火を放ったり、彼らを埋める穴を彼らに掘らせ、銃や銃剣で刺して殺し埋めた・・・・・・。」という内容。親仁は同様の内容を日中戦争に従事した明治生まれの人に直接聞いていたので、特に驚愕はしないが「やっぱりか」の感。戦後68年を経てもまだまだ真実は知られていないことのほうがショックで、苛立ちだつづく。8月15日。

●15日以後の高校野球の組合せ。8月15日(木)が①聖光学院vs福井商、②熊本工vs作新学院、③常総学院vs仙台育英、④鳴門vs修徳。8月16日(金)が①沖縄尚学vs弘前学院聖愛、③西脇工vs木更津総合、④前橋育英vs樟南(以上が2回戦)。8月17日(土)より3回戦でベスト8が決定する。17日は①済美vs花巻東、②明徳義塾vs大阪桐蔭、③未定vs常葉菊川、④未定vs日大山形。8月18日(日)は①未定vs未定、②未定vs延岡学園、③横浜vs未定、④富山第一vs未定。延岡学園の対戦相手は15日と16日の7試合の勝者から「くじ」で決まる。8月19日(月)が準準決勝、20日(火)が休養日、21日(水)が準決勝、22日(木)が決勝。赤のマークの強豪とは当らないから、くじ運は強いかも。8月14日。

きょう、第3試合出場の延岡学園の対戦相手は福岡の自由が丘。2010年に選抜初出場したが、夏は初。5回戦で春の九州大会の覇者、久留米商を継投で5安打に抑え5対3で勝利。準準決勝は強豪、東海大五を9回2死から3連打で4対3の逆転サヨナラ。そして赤嶺琢監督の父はあの沖縄水産の名監督であった故栽弘義氏。延岡学園の不安材料は県予選優勝からの日数。甲子園出場が決まったのが7月20日。23日が凶と出るか吉と出るか、先手猛攻を期待する。8月12日。

アメリカがクレームや疑問符を投げかけないと日本は何も変えられない。政治や経済だけではない。今回は高校野球の投手の投球数。アメリカのプロでの投球数は100球が目途で、それを超えると交替の場面となる。今メジャーで活躍中の黒田や上原、岩隈らの投手はまもなく40歳を向えるが意気盛んである。一方の松坂は彼らより若いが故障に悩んでいる。その原因が高校時代の敏腕の酷使にあるというのだ。黒田投手らは高校時代、少なくとも甲子園で優勝を争うようなことは無かった。夏の甲子園での優勝投手の総投球数は約700球。これはメジャーの6週間分という。きのうの浦和学院vs仙台育英戦での小島和哉投手の投球数は182球。9回2死で山口瑠偉投手に交替して10対11でサヨナラ負け。史上8校目の春夏連覇の夢が崩れ落ちた瞬間だ。小島投手は脚の痛みを堪(こら)え、最後まで投げる意思を表情で示していた。江川や松坂のように直球勝負の短命で終えるのか、かたや40歳を超えてもメジャーで投げるのか・・・人それぞれでどちらが良い悪いとは一概に語れない。現役の寿命が長いにこしたことはないだろうが、やはり江川や松坂の甲子園で残してくれた残像は高校野球ファンにとって至宝の記憶である。江川にしても松坂にしても皆が憧れる甲子園のマウンドで存分に投げ抜くことを最高の誇りとしたであろう。彼らの親も監督もそれを望んだに違いない。強いての浦和学院の森士監督への親仁の苦言は、6回の裏に4点取られて同点にされた前後で一度、小島投手をマウンドから降ろし、機を見て再登板させる策はなかったものか。高校野球のいいところは一発勝負。後悔も後の祭り。相手が強くて運が悪かったのだ。小島投手は選抜の決勝で戦った済美の安楽投手と同じ2年生。来年があり、未来がる。野球に限らず、勝負事は細く長くよりも太く短くが似合う。何でもアメリカの論理を持ち込むのは愚だ。8月11日。

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