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11月3日(火)-文化勲章と画家-

 今日は文化の日である。日本の勲章には大勲位菊花章はじめ桐花章、旭日章、瑞宝章、宝冠章、そして文化勲章がある。例えば、大勲位菊花章の中の大勲位菊花章頸飾の受章は皇族や外国元首が多く、一般受章者には山縣有朋(明治39年=1906年)、伊藤博文(同)はじめ最近では吉田茂(昭和42年=1967年、没後受勳)と佐藤栄作(昭和50年=1975年)がおり、われわれ一般人には馴染が薄い。
 馴染深いとはいかないまでも、馴染がよいのは文化勲章である。「文化勲章は、科学技術や芸術などの文化の発展や向上にめざましい功績のある者に授与される日本の勲章。時の首相広田弘毅の発案により、1937年(昭和12年)2月11日の文化勲章令(昭和12年勅令第9号)により制定された」、とある(Wikipedia)。
 文化勲章の受勳者は2009年度の桂米朝ら5人を含めて351名である。第一回(1937年=昭和12年)の受賞者は幸田露伴ら9名で、そのうち画家が4名であった。今でも名高い横山大観、藤島武二、竹内栖鳳、岡田三郎助の画伯である。当初は毎年受勳者がいたわけではなく、1937年の後は1940年で西田幾太郎や河合玉堂らが、1943年には湯川秀樹や徳富蘇峰、和田英作らが受勳している。戦後の1946年(昭和21年)からは毎年受勳者が発表されるようになって、現在に至っている。
 文化勲章発表のこの時期、小生にとって興味あるのは画家が含まれているのかと、その画家は誰なのかである。1937年から現在までの画家の受勳者を挙げると、大観、武二、栖鳳、三郎助、玉堂、英作の後、上村松園(女流)、安田ユキ彦、小林古径、梅原龍三郎、安井曾太郎、鏑木清方、前田青邨、坂本繁二郎、西山翠ショウ、松林桂月、川端龍子、堂本印象、福田平八郎、奥村土牛、中村岳陵、小絲源太郎、山口蓬春、徳岡神泉、林武、堅山南風、東山魁夷、棟方志功、岡鹿之助、杉山寧、橋本明治、小山敬三、田崎広助、中川一政、小野竹喬、山本丘人、小倉遊亀(女流)、山口華楊、高山辰雄、牛島憲之、小磯良平、上村松篁、奥田元宋、荻須高徳、池田遥邨、片岡球子(女流)、吉井淳二、福沢一郎、佐藤太清、森田茂、岩橋英遠、伊藤清永、平山郁夫、秋野不矩(女流)、守屋多々志、加山又造、福王寺法林、大山忠作である(受勳順)。
 最後の大山忠作は2006年の受勳で、最近画家の名が減る傾向にある。昔に比べて科学技術など他分野からの受勳が増え、そのシワ寄せで画家の受勳が少なくなるのも当然かもしれないが、日本画という日本文化の真髄への授与が減るのは忍びない。受勳する側もその資質が落ちているとも考え難いことから、画壇と画家の奮起を期するしかない。昔の画家は売れなくても、飯が食えなくても、自身の想いをひたすら絵に込めた。家財も岩絵具に変わった。自然と大作が多いのも頷ける。最近の画家はちょっとでも売れれば、売れ筋のものを大量生産し、軽井沢に別荘を建てる。東京芸大をトップで卒業した、文化勲章の資質のある青年画家も当面の楽な生活と廻りの誘惑に負けて、傑作・逸作・名作が遠のく。
 岡倉天心率いる横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山の5名が私財を投じ、茨城県五浦に籠って画業に専念し、切磋琢磨したのは夢のまた夢か。日本画の伝統継承も必要だが、東山魁夷平山郁夫加山又造の如き、テーマが荘厳で独自性の高い新風(新たな画風)を生み出せるかが、文化勲章の鍵であろう。ゾクっとするような大作が鑑賞できる、遠くない日を夢見て、若手画家の奮闘を期待しよう。

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