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「小原庄助さん」の気分!-甲子園・オリンピック・昼酒-

 会津民謡に謡われる「小原庄助さん」は「朝寝」・「朝酒」・「朝湯」が好きなのが有名で、若い人たちでも彼の名を知る人は少なくないであろう。
 
 本日8月17日と18日は本院のクロス(壁紙)の張替えのため、小生にとっては今年に入って12回目と13回目の休日である。とは言っても、17日の朝7時45分には重度肺炎の猫のネブライザー・注射・強制給餌、マルチーズの僧帽弁閉鎖不全症に続発した腱索断裂の治療を行い、鹿児島の鹿屋市から来ている両前肢骨折で手術・入院中のチェックが待っていた。明日も同じだ。
 
 「朝酒」、小生は生来「朝酒」どころか昼間にアルコールを摂取することはまずない。飲むとしたら正月か田舎に帰った時、それに冠婚葬祭のときぐらいである。夜は「ニシタチ」や「中央通」、「西銀座通」、それに「ヒガシタチ」にお世話になるのを常とし、家で飲むのは缶ビール、それも小を1缶だけ。このことを周りの人間は信じてくれないが、事実である。
 
 「甲子園」、今日17日は準決勝である。診療日はじっくり座ってテレビ観戦するほど余裕はない。昼休みもその多くは手術があるためだ。だが、今日は2試合ともじっくり観れた。先の宮崎大会・県予選もアイビー・スタジアムに1回、サンマリンに3回、計4回足を運べた。いずれも診療日で、必ずしも満喫できるものではないが、それなりに満足できた。魔か不思議なことに宮崎商業の3試合(都農・都城東・決勝の日南学園戦)を観戦できた。赤川選手の投球もサンマリンで2回見ることができた。準決勝戦が再試合となり、なんとも幸運であった。
 
 「オリンピック」、4年に1回の全世界のスポーツ祭典と思いきや、歴史は極めて古い。少々長文だが、座右の「CASIO電子辞書の百科事典」によると「古代オリンピック」とは、「古代ギリシャの4大祭典競技の一つ。エリスのオリュンピアの聖域で、ゼウス神に捧げられた競技会。起源については諸説あるが、前776年以後の競技会の記録が残っており、これを第1回と数えている。以後4年に1度開催(オリンピアード)。たとえ、戦争中であっても、オリュンピア祭の時だけは戦争を中断する<エケケイリア>(オリュンピアの休戦)が守られた。はじめはギリシャ本土のポリスの選手に限られていたが、次第に広域化していき、ギリシャの植民地からも選手が送られるようになり、汎ギリシャ的な祭典競技となった。競技会は、なぜか、全裸で行われた。それがギリシャ人であることの証とも考えられていた。競技種目は最初はランニング競技が中心であったが、次第に増えていった。全盛期(前472年以降)には、スタディオン走、幅跳び、円盤投げ、槍(やり)投げ、五種競技、レスリング、ボクシング、パンクラティオン(ボクシングとレスリングを兼ねた格闘競技)、競馬、戦車競争、武装競争、など20種を超す競技種目が5日間にわたってプログラム化されていた。優勝者にはオリーブの枝で編まれた冠が贈られ、聖域内に自分の彫像を立てることが許された。選手として参加できるのは古代ギリシャの自由市民の男性のみで、奴隷と女性は禁じられていた。また、女性の見物は未婚女性のみが許され、既婚女性は女性司祭1人だけが例外とされた。前2世紀以後はローマの影響を強く受けるようになり、このオリュンピア祭も衰退期に入る。競技に賞金が賭(か)けられ、これを目当てにプロの競技者が押し寄せてきたり、ローマの皇帝ネロがオリュンピアの聖域内に別荘を立てたり、みずから競技に参加して、むりやり優勝するというような末期的現象が現れるようになった。最後は、テオドシウス1世の出した<異教禁止令>(392年)により、翌393年の第293回大会を最後に、1169年間にわたる歴史に終止符が打たれた。」とある。
 
 では今北京で開催中の「近代オリンピック」はと言うと、「<オリンピック競技大会Olympic Games>の略称。五輪とも。国際オリンピック委員会(IOC)の主催で4年ごとに開催される国際スポーツ競技大会。古代オリンピックをモデルに、クーベルタンが主唱して近代オリンピックとして復興。夏または秋の大会と冬季大会とに分けられ、前者は1896年アテネで、後者は1924年シャモニで第1回大会を開催した。・・・・・・・・・・・・・」とある。

 野口みずき選手を欠いた日本女子マラソンは惨敗、九州勢最後の一校「浦添商」は相手校・常葉菊川の2塁手町田選手の再三の好守に朽(く)ちた。「こりゃー、飲むしかない。」と思い立つや、最近嵌(はま)りつつある「甲類焼酎・ホッピー割5:5」を2杯、ぐぃっと飲(や)った。苦味と咽喉(のど)元を通過するミクロの気泡は最高の旨味に変わり、気が落ち着く瞬間だ。正しく「昼酒」である。

 明日は「常葉菊川」と「大阪桐蔭」との決勝戦。準決勝を見ていた小生の連合いが曰
(いわ)くには、「最近の甲子園常連校の試合はプロ野球を見てるようだね。」とポツリ。確かに上手で華麗、プロ顔負けのプレーもある。一寸は平凡(へぼ=へた)もないと、高校野球らしくなく、観ていて面白味に欠ける。宮崎大会はまだまだ波乱万丈が期待できるから、ある意味ウレシイが、甲子園での優勝は逆に遠のいているように感じる。これはカナシイことだ。

 第29回北京オリンピックも早半ば。1964年の第18回東京オリンピックは小生が5歳の時であった。当時母屋から150mほど離れた隠居家に住んでいた故・祖父はこの時テレビを買った。もちろん白黒である。アンテナは川をはさんで数百メートル離れた山の田んぼの畔(あぜ)に設置してあった。近所が集まってオリンピックを観た。エチオピアの「アベベ選手」(1932-1973、1960年のローマ大会で裸足で走り「裸足の英雄」といわれた)がマラソンで優勝した。日本の「円谷幸吉選手」(1940-1968)は銅メダルであった。これを観て感動し、稲刈りが済んだ後の田んぼの中を走り回ったのを記憶している。このテレビはそのあと3年ほど、近所の人の役に立った。「力道山」<=空手チョップ>(1924-1963)亡き後の「ジャイアント馬場」<=16文キック>(1938-1999)率いる「全日本プロレス中継」、宇津井健の「ザ・ガードマン」、沢村忠<=真空飛び膝蹴り>の「キックボクシング」、大鵬関<巨人・大鵬・卵焼>の「大相撲」・・・・・、見るもの全てが新鮮であった。

 「このところのオリンピックは面白くない。」とよく耳にする。この10年くらいはバレーボールやサッカー、陸上、水泳などのワールドカップ、柔道の○○大会など、選手は世界中を1年中駆け回っているようだ。テレビも大画面でハイビジョン、臨場感満点である。1972年のミュンヘンオリンピック、松平康隆監督<=時間差攻撃>率いるバレー男子、ブルガリアとの準決勝戦を大逆転(13-15、9-15、15-9、15-9、15-12)で勝ち、決勝で東ドイツを制して金メダルを取った。「猫田勝敏」<=天井サーブ>(1944-1983)、横田忠義、森田淳悟、大古誠司選手らがいた。テレビの前に家族全員が集い、食い入るように、一喜一憂したのが昨日のようである。要は、オリンピックも新鮮味が失(う)せた。

 人間暇だと昔の郷愁に奔(はし)り、碌(ろく)なことは考えない。全てがマイナス思考になりがちだ。小生の一年の活力源は「高校野球」と「ボクシング」、「焼酎」である。「常葉菊川」と「大阪桐蔭」の決勝戦、残されたオリンピックの後半戦、プラス思考で観戦させてもらおう。「甲子園・オリンピック・昼酒」も「プチ(=petit)・庄助」であろうか。

 小生の「夢の余生」は午前中アルバイトの仕事(獣医業はしない)を3時間して、「一風呂」浴び、「昼寝」をして、午後の3時から行きつけの「気の利いた居酒屋」で「鰯の刺身」と「旬のもの」を喰らいながら、焼酎を3時間で3合頂く。7時には家に帰って、「ボクシング」を2時間見て寝る。明日の診療のことも、重病や診断がつけられない患畜のことも、麻酔の心配も・・・何も考えなくてよい。「小原庄助さん」の「朝寝・朝酒・朝湯」は、小生の夢よりもユートピアかもしれないが、少しでも「庄助さん」に肖(あやか)りたいものだ。

 病院のクロスも刷新、気分も刷新でガンバロウ・・・・・ッと!

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