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今週のつぶやき親仁・2021年9月5日(日)~9月11日(土)

●「山頭火アーカイブ」(7年前の2014年8月に山頭火について書いていました)
 今回の譚は種田山頭火の日記にでてくる犬と猫の話とその句についてである。種田山頭火(1882~1940)は山口県防府市の生まれ。実は私の愚妻は防府市出身なので、山頭火には特に関心が深いのだが・・・・・。防府駅前の広場には山頭火の像と句碑がある。(もちろん私もその句碑を観に行ったが)山頭火は防府市の象徴なのだ。※山頭火(1882年=明治15年12月3日~1940年=昭和15年10月11日)
 今日の譚の句は「秋の夜や 犬からもらったり 猫に与えたり」なのだが、この句は山頭火の最後の句と言われている。この句を詠んだ背景が山頭火の日記に書いてある。山頭火が亡くなったのは昭和15年10月11日であるから、死ぬ数日前の日記ということになる。(日記は10月8日で終っている)。
(昭和15年)10月2日 曇、百舌鳥啼きしきり、どうやら晴れそうな。
早起したれど、頭おもく胸くるしく食慾す々まず、ぼんやりしてゐる。むしろ私としては病痾礼讃、物みな我れによからざるなしである。ちょっとポストまで、途中習慣的にいつもの酒屋で一杯ひっかけたが、ついつい二杯となり三杯となり、とうとう一洵老の奥さんから汽車賃を借りだして、今治へとんだ、・・・・・・電話したら清水さんがしんせつにも仕事を遣り繰つて来てくれた、御馳走になつた、ずゐぶん飲んだ、(F館の料理には好感が持てた、)何しろ防空訓練で、みんな忙しくて、誰も落ちついてゐないから、またの日を約して十時の汽車で上り下り別れて帰った、帰路の暗かつたこと、闇を踏んで辿るほかなかつた、そしてアル中のみじめさをいやといふほど感じさせられたのである、・・・・・・Sさんありがとう、ほんにありがとう、小遣を貰つたばかりでなく、お土産まで頂戴した。帰庵したのは二時に近かつた、あれこれかたづけて寝床にはいつたのは三時ごろだつたろう。犬から貰ふ・・・・・・この夜どこからともなくついて来た犬、その犬が大きい餅をくはえて居つた、犬から餅の御馳走になつた。ワン公よ有難う、白いワン公よ、あまりは、これもどこからともなく出てきた白い猫に供養した。最初の、そして最後の功徳! 犬から頂戴するとは! (餅屋の餅 直径五寸位 色やや黒く)(「山頭火 」一草庵日記・随筆 村上護 編・pp200-201・春陽堂)
(昭和15年)10月6日 晴-曇。
今日明日は松山地方の秋祭。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・けさは猫の食べのこしを食べた、先夜の犬のこともあわせて雑文一篇を書こうと思ふ、いくらでも稿料が貰へたら、ワン公にもニャン子にも奢つてやろう、むろん私も飲むよ!(同 p206)
(昭和15年)10月7日 曇-晴。
今朝和尚さんに逢ふ、・・・・・・昨日はどうでした、お祭りのお小遣はありますかと言ふてくれた・・・・・・勿体なし勿体なし、人には甘えないつもりだけれど、いづれまたすみませんが・・・・・・とお願ひすることだろう、ああああ。けさは猫の食べのこしを食べた、先夜の犬のこともあわせて雑文一篇を書かうと思ふ、いくらでも稿料が貰へたら、ワン公にもニャン子にも奢つてやろう、むろん私も飲むよ! 犬から餅の御馳走になった話、・・・・・・(同 p209)
 日記は10月8日で終わっているが、10月6日とその翌日の7日の文章が全く同じ文言が書かれている。山頭火は10月11日に、移住した松山の「一草庵」で、その夜もしこたま酒を飲んで、念願の「ポッコリころりの往生」をしているから、この犬の話のころは、アル中で相当に体中が蝕まれていたのであろうか。しかし、「秋の夜や 犬からもらったり 猫に与えたり」とは、山頭火が他者や弱者(コオロギの虫にだって)にも最後まで慈悲深かったのに間違いはないだろう。安心した。
 ところで、山頭火は大正15年と昭和5年の2回、日向路を行乞(ぎょうこつ)している。大正12年の関東大震災に遭ってから離婚した元妻のいる熊本に住んでいたのと、前衛画家として有名な瑛九の父親で眼科医でもある杉田作郎が山頭火の門下であったことから、宮崎にも足を運んでいるのだ。県内には7つの句碑がある。うち2つはニシタチ界隈にある。1つは「うまい匂ひが漂ふ街も旅の夕ぐれ」(昭和5年9月26日)で、山頭火がニシタチを千鳥足で歩いている姿が浮かぶようだ。いま一つは「水の味も身にしむ秋となり」(昭和5年10月4日)。彼は酒と同等かそれ以上に水が好きだったそうで、この句は飫肥で詠まれた。また「酔うてこほろぎといつしよに寝てゐたよ」もこの時の10月7日、野宿した目井津で詠んだもの。さらに、あの「分け入つても分け入つても青い山」も大正15年、夏の高千穂で詠んでいる。宮崎で名句が生まれているのは嬉しくもあり郷土自慢ものだ。

2021年9月10日

●「たまがる
▲「人の名前や言葉を、間違って覚えてしまうことがる。」。昭和生まれで昭和の大物作家、向田邦子(1929~1981)のエッセイ「眠る杯」の一節である。中略して、「『荒城の月』は、言うまでもなく土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲の名曲だが、私はなるべく人前では歌わないようにしている。必ず一ヶ所間違えるところがあるからである。『春高楼の 花の宴』 ここまではいいのだが、あとがいけない。『眠る杯 かげさして』 と歌ってしまう。」。
▲9月3日の金曜日、その午前の私は上番なく非番である。菅首相の余りにも酷い不甲斐なさに怒ってこのブログを書いた直後、菅さんは実質上の首相辞任を表明した。これには政治的素人の私もビックリ仰天で、宮崎弁で言うなら「たまげた。えれ、たまげた。えれこっちゃ!」である。その「たまげる」=「たまがる」であるが、私は長い間、その語源を「玉が上がる」ことだと思い込んでいた。断るまでもなく「玉」とは「睾丸」のことだ。
▲当の向田邦子女史の勘違いは「眠る杯」だけではないと言うから、その筋(脚本・小説家)で無能な私だけにその数では向田さんに負けない。文部省唱歌の「ふるさと」で「兎追いし かのやま」とあるのを「兎美味し」と覚えていた。生まれが神門だから、実際兎を追いかけて仔兎を一回捕まえて胃袋に入れた経験があるだけに、「美味し」のほうがしっくりする。他にもある。ペギー葉山(1933~2017)の歌う「学生時代」(1964年)である。「蔦の絡まるチャペルで」を「ツタのからマルチャペルまで」と勝手に解し「何処から何処まで」だと思い込んでいた。幸せなヤツだ。小学生にも話せない羞恥の無学さである。
▲ところで「たまげる」の漢字は「魂消る」である。魂が消え失せるほどに驚くことだろう。決して、ビックリ仰天して股間の「物」が吊り挙がることではないのである。勘違いもここまでいくと、顰蹙を超えて侮蔑ものだろう。
9月6日。

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