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今週のつぶやき親仁・2020年8月2日(日)~8月8日(土)

●「8月6日と9日に広島市、長崎市の両被爆地でそれぞれ開かれた平和式典での安倍晋三首相のあいさつの文面が酷似しているとして、被爆者から『何のために被爆地まで来たのか。ばかにしている』と怒りの声が上がった。」(KYODO)・・・・・・そもそも日本人は太平洋戦争という無謀の戦争を起こしたのか。ただただ「戦争反対」とか「核兵器廃絶」とかを御題目のように唱えているばかりでは埒が明かない。開戦に至った経緯を正確に検証し、そこから戦争回避への解を見つけなければならない。もうすぐ終戦記念日である。もう一度勉強し直そうと司馬さんの「この国のかたち」を改めて手にした。再読だが、もう数回は読み返さないと真意が五臓六腑に沁みてこない。この数日の課題である。8月10日。

参考:「この国のかたち・一」(司馬遼太郎・文春文庫)の「あとがき」から
(略)私はいまだに二十代前半であった自分から離れられずにいる。そのころの私は、憲法上の義務によって兵役に服していた。(略)兵役期間中、だれでもそうだったろうが、即座に死ねる自分でありたいと思いつづけていた。なんのための死ということではなく、さらにいえば死に選択はなく、よき死も悪しき死もないと思っていた。(略)当時の彼我の戦争の構造は、対戦というものではなく、敵による一方的な打撃だけで、もし敵の日本本土上陸作戦がはじまると、私の部隊は最初の戦闘の一時間以内に全滅することはたしかだった。(略)終戦の放送をきいたあと、なんとおろかな国にうまれたことかとおもった。(むかしは、そうではなかったのではないか)と、おもったりした。むかしというのは、鎌倉のころやら、室町、戦国のころのことである。やがて、ごくあたらしい江戸期や明治時代のことなども考えた。いくら考えても、昭和の軍人たちのように、国家そのものを賭けものにして賭場にほうりこむようなことをやったひとびとがいたようにはおもえなかった。(略)右にふれた疑問を自分自身で明かしたかったのである。いわば、二十二歳の自分への手紙を書き送るようにして書いた。(略)一九九〇年一月。」

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