●注:上の写真をクリックすれば、拙文が浮かびます。
●新型コロナ感染のオーバーシュートならびに医療崩壊の防止策としての「緊急事態宣言」・・・・・・武漢やアメリカやヨーロッパ諸国(イタリア・スペイン・イギリス・フランスなど)の都市封鎖
(ロックダウン)に対しての日本の基本的防衛スタンスは、都市封鎖ではなくクラスター潰しと三密回避であった。ところがそれも時間の問題で、今の感染拡大に至っている。コロナ感染の再生産数(RO)を1以下にしなけらば感染の収束と終息は見えてこない。ヨーロッパの法的制裁のある都市封鎖か、それよりも軽い措置である「緊急事態宣言」か・・・・・・官邸は後者を選択した・・・・・・むろん経済的ダメージと巨額の補償を鑑みた結果である。とまれ発令(発出)された「緊急事態宣言」・・・・・・それに東京都を中心とした「営業自粛要請」によって都市の人の流れは、多いところで6割も減少しているようだ。さらに11日、「『緊急事態宣言』の対象となっている7都府県のすべての事業者に対して、テレワークを原則とし、やむをえず必要な場合でも出勤者を最低7割減らす取り組みを改めて要請」・・・・・・したのは安倍首相。これに期待するしかない・・・・・・が、日本人の特性のひとつは「後ろめたさ」・・・・・・”後ろ指をさされる”のを極めて嫌う民族である・・・・・・もっとも後ろ指をさされても何とも思わない者の筆頭は政治家である。輩はそんなことなんて”屁の河童”なのであるからして、「緊急事態宣言」の発令が大いに遅延したのである。その災禍が今の現状なのだ。きょうの宮崎市の県内17例目の感染例は、発症してからのCPR検査までの時間が長すぎる。(発症から9日目、病院受診から5日目の検査)。県知事や県医師会の、国の検査指針にとらわれない独自の検査体制を早急につくらなければ宮崎も危ないですぞ。つづく。4月11日。
●遅きに失した感の強い非常事態宣言発令・・・・・・現在の日本(東京・大阪などの大都市)がニューヨークやイタリアやスペインやフランスのような地獄絵巻に至ってないのは、なにも安倍首相の舵取りが巧妙なわけでもなんでもありません。それは、日本人の公衆衛生観念が高度であるからです。平たく言えば行儀がよいのです。手洗いにうがいに、そしてマスクなどの咳エチケットの集合体が感染防御に頗る貢献しているのです。これらは多分、室町の頃より鍛錬された文化なのでありましょう。もうひとつ日本人には、その文化に特筆すべき事項があります。
①人目を気にする=世間体に非常なほど敏感です。
②集団で行動したがる=たとえば連れションなどはその最たるものです。
③決められたことに従わない行動をとる人に対して、周りは厳しい視線を注ぎます。またその視線を浴びたひとは、「後ろめたさ」を痛烈に感じる国民性なのです。
④高齢者の涙ぐましいほどの、不要不急の外出自粛=戦争体験者の辛抱強さ。
それにしても、修羅場はこれからです。感染し抗体を獲得するまで(あるいはワクチン接種まで)、コロナとの戦争は続くのですから、かなりの長丁場になるのです。昨夜の安倍首相の非常事態宣言発令会見で、何割の国民が逼迫感を感じたのでしょうか・・・・・・疑問ですな。つづく。4月8日。