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今週の親仁ギャグ・2021年9月19日(日)~9月25日(土)

●「古墳人③
▲氷河が溶け日本列島が完全に大陸から分離されたのは約1万年前は定説であろう。要するに今の日本列島の海岸線が形成されたということである。1万年は陸続きであり、氷上とは言え大陸からの渡来は、今よりも容易であったかもしれない。事実、約2~4万年前の新人は凍ったシベリアやベーリング海を渡ってアメリカ大陸へ移動している。
▲私もこの1週間、「古墳人」について孤軍奮闘(古墳奮闘)してきたが、何せネットの情報を纏めるだけの作業なので、なかなか全体像がつかめないでいる。そこで、これからは想像たくましく「古墳人」の成り立ちを考えることにしたい。
▲日本が未だ陸続きであった頃に日本に渡来して住み着いたのが縄文人である。正確には、縄文人よりもかなり古くから人類が居住した気配が石器の発見などで示唆されているようだ。日本の土は酸性であるため、人骨が残りにくいことが不都合の土壌という。ともあれ縄文人(縄文遺跡に居住していた日本人)よりも古くから住んでいたであろう人類は、原人(明石原人・三ケ日原人)ではなく新人(現生人類)であり、言わば縄文人の先祖的な位置づけの考え方が一般的のようである。
▲その縄文人のルーツの人類は何なのかという疑問。
・約20万年前に誕生した現生人類(新人)である。
・その現生人類が約15万年かけて東アジアへ進出した。
・15万年という気の遠くなるような年月の間に、現生人類は多少の遺伝子的進化を遂げたであろうし、知恵もつき、道具なども発達したことは疑いようがない。
現在では、東アジア人の共通祖先は、①北東アジア人、②縄文人、③東南アジア人へと遺伝的変化を遂げたとの解釈である。(縄文人は、古い時期から北東アジア人や東南アジア人とは遺伝子的に孤立した独自の集団であった)。
・つい最近まで、縄文人は、東アジア人の共通祖先そのものが直接渡来して来たのではなく、ある程度の期間(2~3万年)を経、幾分かの進化を遂げながら日本へ到達したものと考えられていた。(縄文人は形態的に東南アジア人に近いが、DNA分析では北東アジア人に近いという分析結果もあった)。
▲ではその独自の孤立した縄文人は、どのようにして日本に到達したか。
・まだ日本列島が大陸と陸続きであった時期、縄文人は、①北海道ルート(2万5000年前)、対馬ルート(3万8000年前)、③沖縄ルート(3万5000年前)の3つの経路で日本に到達したと考えられている。北海道と対馬は陸続きであったが、沖縄へは海路で来たことになる。
つづく。9月25日。

●「古墳人②
▲北海道と樺太はいつごろ分離したのだろうか。それは約13000年~10000万年前という。それまでヴェルム氷河期にあった地球は、今よりも広範囲で氷に覆われ、宗谷海峡の海面も今よりは約100m低かったという。要は、現在の日本列島の地形(海岸線)が形成されたのは、およそ1万年前である。
▲では、日本列島に人類が住むようになったのはいつごろなのだろうか。その前に人類とは何ぞや。人類とは、猿人→原人→旧人→現生人類(新人)の順にそれぞれ進化してきた。
猿人:約400万年~150万年前に生息した最古の化石人類。アフリカの東部・南部で発見。脳容積は現生人類の3分の1程度で、現生ゴジラと同じくらいだが、骨盤・歯の形状は人類に近く、直立二足歩行をし、きわめて粗末な礫石器を用いた。アウストラロピテクスがその例(三省堂スーパー大辞林)
原人:約150万年前から30万年前に生息した化石人類。握斧(あくふ)などの石器を使用し、火を用いていた。猿人に次ぐ人類進化の第二段階で、旧人の前段階。ピテカントロプス(ジャワ原人)・シナントロプス(北京原人)など(同)。
旧人:約30万年前から3万5千年前に生息した化石人類。猿人・原人に次ぐ人類進化の第三段階で、新人の前段階。ネアンデルタール人に代表される(同)。
新人:化石現生人類。現生のヒトと同種と考えられる化石人類。体格・顔かたち・頭蓋容量も現代人に近い。およそ※3万5千年前に出現し、後期旧石器時代の文化を担った。クロマニヨン人はこれに属する。(同)。
これは広辞林の記載であるが、間違いである。3万5千年前ではなく20万年前である。人類進化の詳細については、遺伝子解析が進むが今もって流動的であるとの証左であろう
▲アフリカで生まれた人類はどのような”かたち”で地球上に拡大していったのか。
・「かつては、アフリカで誕生した猿人が原人に進化し、各地に広がって多様化して集団となり、その地域の人々の祖先となったという『多地域進化説』が主流だった。そのため、東アジア人の祖先は北京原人、オーストラリアのアボリジニの祖先はジャワ原人、ヨーロッパ人の祖先はネアンデルタール人といった具合に、地域的に広がったあとにそれぞれ進化していったと信じられていた。」
・しかし現在は、『アフリカ起源説』が正しいことが判明している。アフリカで誕生した原人は世界各地に広がって、その一部は旧人に進化したが、その後、絶滅した。代わりに生き残ったのは、アフリカに留まっていた旧人集団から進化した新人『ホモ・サピエンス』で、彼らが現在の私たちになったという考えだ。現代の世界の人々は皆、このアフリカで生まれたホモ・サピエンスの子孫ということになる。」
このように、現生人類の祖先はアフリカで旧人から進化した新人(現生人類)というのが定説という。
▲さらに詳しくなると、「アフリカで誕生したホモ・ハイデルベルゲンシスがネアンデルタールと新人サピエンスの最後の共通祖先である。ヨーロッパ大陸でハイデルベルゲンシスからネアンデルタールという固有の系統が誕生する20万年前、アフリカでは現代人の祖先集団、新人サピエンスがやはりハイデルベルゲンシスから生まれる。新人サピエンスは10万年前からアウト・オブ・アフリカと称される移住拡散を繰り返し、ユーラシア大陸各地に移り住み、その一派はヨーロッパ大陸にもおよび、その地に登場するのが新人の代名詞ともなっているクロマニョンである。ヨーロッパで共存することになった入植者クロマニョンと先住民ネアンデルタールとの間にどのような事態が生じたか、結末はクロマニョンの側に軍配が上がり、ネアンデルタールは次第に消滅して行き、絶滅した」。旧人のネアンデルタール人と新人であるクロマニヨン人の交代劇・・・・・・ネアンデルタール人が滅んだのであるが、ネアンデルタール人と新人との交雑は確実にあったとされ、現生人類にネアンデルタール人の遺伝子が継承されているという。
つづく。9月24日。

●「古墳人①
▲いまの日本人のルーツはどんな顔をしてどのような体形をしていたのだろうか。誰でも興味のあるところだろう。最近、金沢大学などの国際研究チームがパレオゲノミクス解析を行い、「現代における日本人集団のゲノムが縄文人・弥生人・古墳時代人の3つの祖先集団で構成されていることを世界で初めて明らかにした」とのニュースが飛び込んできた。
▲住人を考える前に、居住地が重要である。日本列島の形成はどのような経過を踏んできたのだろうか。
・数百万年~4000万年前まで、日本は大陸の一部であった。
・3000万年~1500万年前に、日本海峡が形成されたが、対馬海峡はユーラシア大陸と陸続きであった。
・250万年(第四紀)前に、対馬海峡が形成された。水深130m程度の浅い海峡に開閉の繰り返しがあった。
・100万年前に、現在の日本の形に近くなったが、北も南もまだ陸続きで、日本海は大きな湖であった。この時期、北の陸続きからはマンモスが、南の陸続きからはナウマン象が渡ってきた。
・数十万年前に、陸続きの日本列島に人間が住み着くようになった。明石原人・葛生原人・三ケ月原人。
・約20万年前(旧石器時代=約200万年前~1万数千年前の前期=~10万年前)に、現代型のホモサピエンス(新人=現生人類)がアフリカに誕生。
・15万年前の洪積世(更新世)後期、朝鮮海峡(朝鮮半島と対馬の間)が形成される。
・20000~12000年前に、氷河が解けて対馬海峡が出現。※日本では新石器時代のことを縄文時代と呼ぶ(13000年前~)。
・10000年前に、現在の朝鮮半島と日本列島の間がきれて、それまで湖であった日本海が東シナ海と通じた。対馬が完全に島と化した。
つづく。9月22日。

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