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今週の親仁ギャグ・2019年8月25日(日)~8月31日(土)

●ついでながらレーダーの歴史を調べてみました。
1.1887年、ドイツの物理学者であるハインリヒ・ヘルツは、電磁波の人工的発生と検出に成功。電磁波の存在そのものはイギリスの物理学者であるジェームズ・クラーク・マクスウェルにより予言されていたが、それをヘルツが実証。
2.1904年、ドイツの発明家であるクリスティアン・ヒユルスマイヤーが、電磁波の反射によって船の衝突回避を実演。
3.1930頃~ アメリカとイギリスでは、航空機を発見するためのラジオ・ロケーターと呼ばれるレーダーの開発を開始。
4.1933~ ドイツは12km先の艦の探知に成功。700m離れた航空機の探知に成功。
5.「1930年代、ドイツではヴィルスンとアーブスローが海軍司令官エーリヒ・レーダーの指示のもとで、イギリスではロバート・ワトソン=ワットらにより航空省が援助して開発が進められ実用化され、1940年にイギリスはマグネトロン、翌1941年にはこれを用いたマイクロ波レーダーの開発に成功、ドイツ空軍の空襲に対する迎撃戦闘で大々的に使用し、ドイツのイギリス侵攻の阻止に大いに役立った。」(以上、Wikipedia引用・参考) 。以後、レーダーの進化。
つづく。8月29日。

●「い号作戦終了後、山本は、ブーゲンビル島、ショートランド島の前線航空基地の将兵の労をねぎらうため、ラバウルからブーゲンビル島のブイン基地を経て、ショートランド島の近くにあるバラレ島基地に赴く予定を立てた。」(Wikipediaより)・・・・・・のでありますが、戦争の当初から暗号は解読され、そしてこの時期にはレーダーで航空機の行動(接近)も見事に探知されていたのでありますから、山本五十六元帥の乗った航空編隊は迎撃されたということでしょう。「アメリカ海軍情報局は、4月17日に「武蔵」から発信された暗号電文を解読してこの前線視察の情報を知った。ニミッツは、山本暗殺の議論で後にもっと優秀な司令官が出てくることを心配したが、太平洋艦隊情報参謀エドウィン・レイトンから『山本長官は、日本で最優秀の司令官である。どの海軍提督より頭一つ抜きん出ており、山本より優れた司令官が登場する恐れは無い』という答えがあり、また、山本が戦死すれば日本の士気が大きく低下すること、山本がきわめて時間に正確な男で今度も予定を守るだろうということを理由に山本の暗殺を決断し、南太平洋方面軍司令官ウィリアム・ハルゼーに対する命令書を作成した。」(Wikipediaより)・・・・・・のであります。自殺行為と暗殺・・・・・・元帥の答えは出ていたのでしょう。つづく。8月29日。

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