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今週の親仁ギャグ・2019年2月3日(日)~2月9日

●芸術や科学をはじめ人類の発展に言葉と文字が重要であることは言うまでもありません。今回のテーマは歌舞伎座観劇から出発し、歌舞伎をはじめ日本の伝統芸能の歴史を掘り下げてみよう・・・・・・という大それた冒険に発展しました。毎日少しずつ解決しながら徒然に感じたことは、言葉や文字の発明には幾多の天才がかかわてっていたであろうという結論に至りました。そこでこれまた司馬さんの登場ですが、司馬さんの書いた「胡蝶の夢」という小説に語学の天才である司馬凌海という人物が登場します。松本良順と関寛斎が主人公ですが、司馬凌海は筆頭脇役という人物です。Wikipediaを拝借するに、「司馬凌海(しば りょうかい、天保10年2月28日(1839年4月11日) – 明治12年(1879年)3月11日)は、医学者・語学者。愛知医学校校長。佐渡島真野町新町(現:新潟県佐渡市真野新町)生まれ。諱は盈之(みつゆき)、凌海は通称。幼名、島倉伊之助。 語学の天才と言われ、独・英・蘭・仏・露・中の6か国語に通じていた。」とあります。さらにWikipediaのエピソードには、「①医学校時代に指定した教科書を買い占め、原価より高く売り利益を得ていた。その金で放蕩していたので、謹慎処分になる。②医学校に教師として来たドイツ人医師レオポルト・ミュルレルとテオドール・ホフマンと話したとき、あまりに上手に話すので「あなたはドイツに何年いましたか」などと聞かれた。しかし、実際には日本から出たことはない。③医学校に外国の教師を呼んだが、凌海以外に通訳できる者がいなかった。したがって酒好きの凌海が二日酔いで休むと自然と休講になった。④通訳するときに、日本語にない単語はその場で即座に造語した。漢文に精通していたため、的確な訳語だったといわれている。蛋白質(Eiweiss)、窒素(Stickstoff)、十二指腸(Zwölffingerdarm)などがそうであるといわれている。」・・・・・まさに語学の天才だったのです。山下清同様、アスペルガー症候群かサヴァン症候群だったとの説もありますが。つづく。2月7日。

●もうそろそろ飽きてきましたのでまとめなくてはなりません。いつもの司馬遼太郎に頼るしかありません。「むろん朝鮮半島からも、稲はもたらされた。やがて九州北部で、稲作がひろがるころにできあがってゆくのが、日本語である。紀元前三世紀ごろだろう。構文は朝鮮語に似、発音はポリネシア語に似、『目(め)』『魚(な)』といった単音節の多い点では、古代越人たちのことばに似ている。」(司馬遼太郎「街道をゆく」38・「オホーツク街道」・朝日文庫・p14)・・・・・・と国民作家の司馬さんが書いているのですから、これを信用するしかないでしょう。つづく。2月7日。

●唐突ながらここで登場するのが、1784年に博多湾の志賀島で発見された金印です。金印は、後漢書によると、57年光武帝が倭奴国の使節に印綬を与えたとあります。これは朝貢のため大陸に渡った日本人が少なくとも漢字を理解できたということでしょうか。ついでながら「魏志倭人伝」にも卑弥呼に「親魏倭王」の金印を与えたことが記されているそうな。サルから進化した新人の定義というか基本的な特徴はを使い、道具を用い、言葉を話すことだ・・・・・・と中学校で習いました。人類の進化を復習してみますか。①猿人(アウストラロピテクス・400~300万年前・二足歩行ができるようになって手が空き、脳が大きくなる→400~500ml)→②原人(北京原人・ジャワ原人・身長160~180cm・火の使用・脳の容積900~1100ml・180万年前)→③旧人(ネアンデルタール人・50~30万年前・脳容積は現代人より大きく1300~1600ml)→④そして新人(=現生人類・クロマニョン人・上洞人・20万年前)・・・・・・ということです。では焦点の言語の誕生はいつごろなのか・・・・・・さっぱりです。つづく。2月7日。

●素人が机上のみで調べた独りよがりの日本語の形成過程(歴史)であります。中国語とともに漢字が大陸から伝搬されたのが仏教公伝(539年)以前でありますが、万葉仮名の存在が確認されているのが471年の製作とされる稲荷山古墳の金錯銘鉄剣であります。それこそ時代錯誤の68年であります。肝要なるは、当時の日本語の会話や文章を文字として表現するために漢字を利用したことです。そして、奈良時代(710~784)に入って平仮名が誕生し、平安遷都(794)のころに片仮名が登場したのであります。710年が古事記(変体漢文)が、712年が日本書紀(正統的漢文)の書物(歴史書)が書かれました。1001年の完成とされる清少納言による枕草子や紫式部の源氏物語(1001年~1005年起筆)は、いわゆる古文と言われる漢字と平仮名を使った現代文に近い表現となったのです。それがなぜか今昔物語(1120年以後)や徒然草(1330~1331年頃)、平家物語(1309年以前)などでは和漢混交の文体となっています。つづく。2月6日。

●そこで登場するのが片仮名平仮名です。平たく言えば、これらは漢字を日本語に読み替えることでしょうか。日本語の意味に合わせて訓読するということです。平仮名のもとになったのは、奈良時代を中心に使われていた借字(しゃくじ)=万葉仮名だそうな。「平安京に都が遷されて以降、借字として使用されていた漢字の草体化が進み、ついにもととなる漢字の草書体から独立したものが平仮名となり、文章を記す書記体系として確立した。」(Wikipediaを拝借)。一方の片仮名の起源は、9世紀初めの奈良の古宗派の学僧たちの間で漢文を和読(訓読=漢字を、その字の意味に基づいて訳した日本語で読むこと)するために、訓点として借字(万葉仮名)の一部の字画を省略し付記したものとのこと。漢字の一部を使いその文字の代わりとして用いることは7世紀中頃から見られるとのこと。(Wikipediaを参考)。つづく。2月3日。

●思考回路を変更してみましょう。たとえば酒宴で演歌でもなければ白けた座興であるように、音楽は普遍の存在であります。音楽に必ずしも歌詞(詞章)が必要不可欠でないのは自明のことでしょうが、多くのジャンルでは存在した方が理解し易いのも明白です。歌舞伎や能楽も然りであり、音楽(囃子)と舞踊に「語り」が合体した芸能であります。そこで日本語とは、いつぞや誕生したかという大問題です。その前に漢字の起源はどうなのか。現存する最古の漢字は、殷墟から発掘される甲骨などに刻まれた甲骨文字でそうな。年代は紀元前1300年頃と言いますから、今から3300年前のことです。中国発祥のその漢字が日本に伝わったのはいつ頃なのか。それは、漢委奴国王印や古墳時代の稲荷台1号墳に埋蔵されていた鉄剣の銘文記載が、日本における初期の漢字事例だそうな。稲荷台1号墳の鉄剣紀元5世紀の前半と考えられているそうで、漢字の日本伝来はそれより前ということになります。事実(かどうか)、弥生時代後期から古墳時代にかけての刻書土器・墨書土器には、「」や「」のような模様があるそうな。弥生時代は紀元前5世紀から紀元後3世紀中頃の約800年間です。その後の6世紀末頃までが古墳時代であります。漢字伝来は、一説には仏教伝来(仏教公伝=538年)と同時期といいます。つづく。2月3日。

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