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今週の親仁ギャグ・2016年5月22日(日)~5月28日(土)

●「名こそ惜しけれ」・・・これこそ日本人であることの精神の根幹根底を成すものである・・・と、司馬遼太郎は書いています。坂東武士の精神であります。わかり易く云えば大和魂でしょうか。恥辱や世間体を執拗に気にかけ、公のために自己を犠牲にすることです。はじめて知りましたね・・・都庁に「都政新報」ってのがあるのを・・・。意外にも舛添批判が辛辣ですね。四面楚歌の状況ですが、この事件はウンザリ感が強烈であります。皆がそう感じるのは、日本人の精神の奥にやはり「名こそ惜しけれ」が摺り込まれているからです。そう、「潔さ」であります。この精神を踏みにじる舛添都知事の不甲斐無さは「この国のかたち」の真逆であります。都知事続行は鎌倉以前の日本に先祖がえりということです。日本人が最も尊ぶ「名こそ惜しけれ」精神の琴線に触れてしまった(地雷を踏んだ)ということです。5月27日。

●余談ながら・・・ですが・・・川路利良(としよし)が一般的のようですが、はじめは「としなが」と名乗っ
ていたそうです。Wikipediaにもそう記載されてます。司馬遼太郎の「翔ぶが如く(一)・文春文庫・p3」の冒頭に「この男は、薩摩の田舎では、『正之進』とよばれたいたが、パリでは、としながとローマ字で書いていた。川路利良である。」とあるから、パリ遊学の帰国後に”としよし”と呼び名を変更したのでしょう。これに関連した話を紹介しましょう。1991年10月22日の立川市での講演のために司馬さんはJR中央線に乗ったそうです。司馬さんは以前、「燃えよ剣」の取材で同地を訪問していたそうで、同行した人が「どんな取材をしたんですか」と聞くに、土方歳三の生家を訪ねた折、「サイゾウというのか、トシゾウというのか、確かめたかったんだ。生家の人が、『私たちにもはっきりとはわかりませんが、このへんでは皆、トシサン、トシサンと呼んでいたと聞いています』と言ってくれた。やはり行かなきゃわからないね」と応えた・・・と「司馬遼太郎全講演[4]・朝日文文庫・司馬さんの控え室④・pp403~404」にある。やはり流石は司馬さん、基本姿勢がわれわれ凡庸とはケタがちがいますね。見習いましょう。5月25日。

●それらの極みが「翔ぶが如く」の川路利良の逸話なんですね。川路利良はフランスの警察制度を学ぶため西郷隆盛の命を受け、1872年(明治5)に横浜を出帆し、マルセイユに上陸後、パリへ向いました。パリへの列車内で烈しい便意を催したんですね。耐えられずに床に新聞を敷き、頭からずっぽり毛布を被って、そのなかで用を足したんですが、そのあとが拙かった。そのものをそのまま新聞に包み、車窓から投げ捨てたんですが、それが線路脇にいた保線夫に命中したんです。怒った保線夫は警察に届け、調べると、包の新聞紙は日本語だった。それで日本人(薩摩人)の仕業と分り、国辱を嘗めた・・・という話です。なんと144年前の事件ですが、文明国のマナーをある程度習得、周知するには1世紀も2世紀もかかるということでしょうか。中国は儒教を国教とする国ですからそれよりも短時間でクリアすることでしょうが。要するに、今だもって日本人の文明国への仲間入りはなされてないのではないかということです。バラエティーでそれなりの知識人が競って中国のマナー批判を繰り広げるのには反吐がでそうであります。「人のふり見て我がふり直せ」ってことでしょう。呵呵!!! つづく。5月24日。

漱石の「三四郎」にもありますね。三四郎が九州から山陽線で上京する際、京都から乗り合わせた相向い席の女性が窓から首を出していたところ、三四郎が力一杯窓から放り出した食い終りの弁当の折が風に逆らって舞い戻り彼女の顔を汚した・・・という。この色黒の顔の女性は名古屋の宿で床を共にしながら何事も起らなかったことから、翌朝の別れ際に三四郎に向って、かの有名な、「あなたは余っ程度胸のない方ですね」と言ったひと(女)である。彼女は四日市方面へい往くためふたりは名古屋駅で別れた。筋向いの、新聞の読み殻を借りた髭を生やした男は好物らしき水密桃の核子や皮やらを新聞に一纏めに包んで窓の外へ投げた・・・んですね。三四郎にしても紳士おぼしき髭男にしろ明治の日本人はこの程度のマナー意識しかなかったということです。「三四郎」は明治41年に朝日新聞で連載されています。1900年が明治33年ですから明治41年は1907年で、日露戦争(1904~1905)の2年後のことですね。つづく。5月24日。

●ワイドショーは視ますがバレエティーの視聴は苦痛ですね。それでも視ざるを得ない番組もあります。最近、前の宮崎県知事の出演が目立ちます。関西のメディアで活躍していたと聞き及んでいたのが今や東京に鞍替えしたのでしょうか。あるいは橋下徹前大阪市長にくっ付いて行ったのでしょうか。とまれ昨今のインバウンドにおける、特に中国人観光客のマナーの悪さに対するバッシングには行き過ぎを感じませんか。各局も朝日の解説者がTBSへ、かつてのTBSのMCが朝日へ、そして日テレ専属かと思われしフリーアナがTBSの番組司会者へ、NHKのお天気姉さんが民放へと・・・民族大移動を想像させる雰囲気であります。そうそう中国人のマナー問題でした。私の病院は田圃の中なんですが、そうは言っても道路は市道です。田圃や道端には色んな”ポイ捨て物”が飽きもせずいつも散乱していますね。つづく。5月24日。

●アメリカ大統領選や熊本地震(熊本選出のある国会議員は「熊本」と地域名が付けられると風評被害となるため、たとえば「中九州地震」などへの変更を望んでいる)のため今国会でのTTPの国会承認は見送られていますが、果たして日本の農業は、農業産物は世界に打って出る、そう輸出で買ってもらえるのか・・・「売って出れる」のか少少不安に駆られました。日本が戦後の世界稀なる発展を遂げてきたのは、なんといってもアメリカの市場開放主義に因る処が大であります。これは疑いようのないことです。トヨタがアメリカで大儲けできているのはアメリカの「Open door」によるものであり、保護主義を一貫して否定してきたからです。日本が農業の保護貿易を貫けば我が国は世界から後ろ指を指され相手にしてもらえなくなる可能性があります。自動車に限らず工業製品の多くでしっぺ返しを喰らう筈です。しかしですよ、輸出しようにも残留農薬の基準に適合していなければ話は別(問題外)です。つづく。5月22日。

●最近凝っているのが昔からある「粉わさび」、そう直径5cmで高さも5cm強の蓋付の缶である。チューブの練山葵にとって代わられた商品であるから、昭和生まれの人なら知っている筈。その「粉わさび」に書かれた原材料名は「西洋わさび・着色料(紅花黄・くちなし)・ビタミンC」とだけある。それらの原産国などの表記はない。つい最近、「日本の農産物は残留農薬が多すぎてEUや台湾には出荷できない。日本販売用と海外輸出用で畑を変える」というニュースを視て、少し不安になった。日本の残留農薬の基準は諸外国に比べて「緩い」「生温い」ということだ。安全・安心を誇っていると信じ切っていただけに落胆の域である。つづく。5月22日。

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