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今週の親仁ギャグ・2015年12月13日(日)~12月19日(土)

●大きな勘違いの譚。最近の「古民家」ブーム。そこでの居酒屋などの飲食関連がマスコミや雑誌を賑やかにしている。最新の「○ゅ○あ・初春号」の特集食べる 泊まる 暮らす。『古民家』魅力再発見」を見て、怒っているのですが・・・。「」の意味は①「ふるい」「ひからびているさま」「こちこちのさま」、②「ふるびたさま」「ふるめかしいさま」、③「いにしえ」「むかし」、④「姓の一つ」(大辞林)。「」が付いて良く知られたのが「古伊万里」だが、これは「伊万里焼の初期のもの。染め付けと赤絵があり、柿右衛門・渋右衛門らを代表的陶工とする。普通、草創期を含めず、赤絵が完成した正保(1644~1648)末期から元禄(1688~1704)前後のものをいう。」(大辞林)と、なかなか限定的で手厳しい。では「古い」を引くと、①「昔のことである」、②「存在してから長い年月をへている」「以前から伝わっている」、③「長い間使いならしてふるびている」、④「年老いている」「年功をつんでいる」、⑤「陳腐だ」「時代遅れである」「現在のものより前のものである」、⑥「新鮮でない」と、広辞苑にある。それじゃこれならどうじゃ・・・「古材(こざい)」・・・「古材」は古い民家を解体した時、まだ十分に再利用できる柱や梁のことを指すのであり、白蟻が食い散らしたような腐った材ではない。「」というのは伐採してからその樹齢と同じ年月で「」として成長し、さらにはその樹齢の数倍も十倍も寿命があるという。であるから、「こざい」は再利用すればさらに百年単位で活き続ける。そうであるからして「こみんか」(古民家)は単に建築年数でなく、材が「活きた」状態の建物をいうのではなかろうか・・・いや、きっとそうでないと丹念に手を入れてきた甲斐が無いというものだ。材が陳腐と化した「腐木」の「古民家(ふるみんか)」は単なる「襤褸(ぼろ)家」か、荒れはてた「荒(あばら)家」でしかない。「腐木の古い民家」は薪にするかバイオマス燃料でしかない。そうそう・・・「公民館」には使えるかもしれませんが・・・。要は築年が戦前か大正か明治か、はたまたそれ以前であっても、風通し良好で、(糠袋で磨かれなくとも)管理が行き届いてなければ「古民家」ではないのだ。最近発見した居酒屋に「古福」という屋号の和風居酒屋があります。「豆福」ならぬ「小福」に懸けたのか、一度由来を訊きはしたものの、深酔のうっかり君の忘却殿の彼方嬢であります。想像を逞しくするに多分、「幸福絶頂」ならぬ「古福舌超」の「古福」に違いありません。再度、「古福」を訪ねてみます。相当に頭がこんがらがり君ですが・・・きょうは容易(たやす)く「古民家」なんて使用するなってことを言いたかったまでです。12月19日。

●クリスマスのイルミネーションの譚。15日の夜、例のスピードリターンで日向市に行って参りました。例にもれず、駅前広場(ひょっとこ祭りが開催されるところ)にはクリスマスのイルミネーションが輝いてました。宮崎市の橘通りや市役所、上町(元青空市場跡)なんかも同様で似たりよったりですが、どうもパッとしません。その理由はと考えて見るんですが・・・というよりも常に何でああなのかと思っているので、ここに書いて見ましょう。良く分かるのが美術館です。もしもゴッホモネが宮崎県美術館に所蔵されていれば・・・もちろん一枚ですぞ・・・多分に、日本中から絵画ファンが集う事でしょう。確かに数億円のピカソはありますが、これは真贋不詳の噂があり、目に入れてもそうは感動しません。世界的巨匠の会心作が一枚あれば(そうは言ってもゴッホ、モネは数十億か百億超ですが)数千万円や数百万円が百枚、千枚あっても人は来ません。私なら、百億円かけて美術館を建てるような馬鹿な発想はしません。10億円の建物で、残りの九十億円で「ゴッホのひまわり」か「モネの睡蓮」を買いますね。さておき、イルミネーションも同じことです。ちゃちな電飾1000よりも大きく豪奢なものひとつの方が人寄せパンダになりえるということです。殊に橘通りのイルミネーションには毎年ながら失望ですね。毎年、同じ趣向で全くの創意工夫が見られません。全部取っ払って蝋燭1本の方が有難味がありますよ。宮崎県民(私もですが)の貧乏性丸出しでなんとも哀愁さえ漂ってませんか。12月17日。

●ある国の宰相の譚。宗教団体と高齢者の機嫌を窺い選挙で票を貰おうという魂胆見え見えの宰相。わずかの年金しか受給できない高齢者へ3万円供与。受給者は株もやれないし、給料が上がる訳でもないので、経済浮揚の恩恵を受けることがないから・・・という思いやり予算を「ぽい」と出す。少子化対策や待機児童問題など切羽詰まったことは遅々として解決が進まないのにだ。来年の参院選で大勝して憲法9条改正としたいのであろうが・・・御座なり的で憲法を無視しての集団的自衛権を容認した改正日米安保法案強行可決に対する負い目があるのであろう。そしてそしてだ・・・長期政権をさらに延長してまさか森・元首相ともども東京オリンピッてクまで居座るつもりじゃないでしょうね。そうでもしない限り、後悔の念が臨終の死床まで付き纏うとお思いなのでしょう。そうそう、豊臣秀吉は最晩年、臨終までの床にあってある悪夢に悩まされたといいます。そう、御大将・織田信長の怨霊が秀吉の枕元に現れ、彼を苦しめたのです。秀吉は、信長の姪(浅井長政とお市の方=信長の妹の長女・茶々=淀君=秀頼の生母)と信長の六女・三の丸殿を側室に迎えましたので・・・このことがさぞ信長に対して後ろめたかったのでしょう。前田利家が語り継いでいるんですね・・・その利家の娘・魔阿=加賀殿も秀吉は側室にしていたのですが・・・。現在の宰相も正規の道筋を踏んでない改正安保法案がこれから終生、悪霊として彼の寝床に出現するのでしょう。手段を選ばない強権政治・・・野党も自民党の良識派も彼の独走を許してはなりませぬ。この秀吉の譚は司馬遼太郎の「国盗り物語」にあったと記憶しております。12月17日。

●小賢しい譚。三陽商会が「バーバリー」から「マッキントッシュ ロンドン」へ鞍替え・・・というか、バーバリーから三行半を下された恰好か・・・真相は不詳だが。とまれ・・・バーバリーとの契約では細部まで英国本社の許可が必要であったが、マッキントッシュは2007年に日本のアパレル商社である八木通商が子会社化している為、三陽商会の方針がより尊重され、デザインや広告宣伝の自由度も拡大する・・・らしい。山陽商会は「八木通商は日本の市場を知り尽くしているので意思疎通がしやすく、許認可を得るというより、協力して新ブランドを育てていくという関係」と、予想される決定的な売上減に対して意気込む。ところで日本国内でのバーバリーが英国本社直売になったことで「ホース マーク」のブランド価格が約2倍になった。そこでそれを見越していた小賢しい人間はハンカチや靴下を買い漁ったという。1000~1500円ものがその倍の価格でネット販売されているという。大して儲けにはならないにしても、(私だったら)ちょっとした挨拶がわりの贈り物には最良のような気がして口惜しい想いに駆られているのだバーバリーと山陽商会のような関係を「ライセンス契約」というが、どうもブランドの「バーバリー チェック」と「ホース マーク」が山陽商会の欲するところで、売上の2~3%がバーバリー側に支払われていたらしい。もちろん山陽商会は自前の製品縫製である。それにしても最近のデザインの胡散臭さは淋しいところだったが・・・。マッキン トッシュの親会社が日本ならオリジナルブランドを立ち上げて、逆に世界に打って出て欲しいですね。アパレル業界には疎いので分りかねますが・・・。12月16日。

●最近の譚。ラーメンや饂飩屋さんでおでんを置いてる店ってありますね。おでんは麺の前に、できればビールも一緒ってのがいいですね。餃子の前にラーメンが運ばれてきたら怒りますよね。(実際の話、ラーメンが先に出されて怒った客が店にイチャモンつけてお縄になったのが最近ありました)。ある客がおでん1個を頼んだら、同時に芥子の瓶も供されたんですが、その客は皿のすぐ脇に瓶を置きっぱなしでおでんを摘んでました。瓶には蓋がないので汁が飛び散るのになあ・・・と他人ごとながら心配しておりました・・・その客は視線を感じたのかカウンターから付け台の上へ瓶を移動させました・・・がしかし、芥子が足りずに再度手を伸ばして瓶を取り備えのヘラでそれを皿の縁に塗りました。戦国時代、名将・北条氏康(1515~1571・初代北条早雲の孫=3代目)は息子・氏政(1538~1590)の暗愚を憂えたんですが・・・どうしてかというと、その馬鹿さを確信した逸話が残っているんですね・・・氏政は一椀の飯に汁を二度もかけて食ったそうで、「大体、飯というのは貴賤みな一日に二度(このころ食事は日に二度であった)食う。だから自然、鍛練できて目分量がわかるものだ。いま氏政のやることを見るに、最初汁をかけ、それが足りぬとみたのか、また掛けた。その程度の見積りもできないのに、国を保てるはずがない」(司馬遼太郎「覇王の家・上巻」・p335)。店のおでんの芥子は我が家のではありません。清潔性が重要です。案の上、氏政は秀吉に小田原城を攻められ自刃したのでした。おでんの芥子もラーメンの胡椒も大蒜も紅生姜も辛し高菜もすべて同じですぞ。家でも常に気を付けて採食しないと公然でボロがでるということです。12月15日。

ホキ美術館のことを書いたが、その収蔵で私の既知の作家は森本草介野田弘志中山忠彦青木敏郎藤原秀一藤井勉中根寛向井潤吉林武か。その野田弘志氏が12日の日経新聞「交遊抄」に紹介されていた。紹介者は筆者である仏文学者の保苅瑞穂(ほかりみずほ)氏。題名は「今様李白」。そのなかで「見えるものを描くのが写実じゃない。存在の奥にある真実を摑むのが写実なんだ。」とある。そう、絵画だけじゃなくてまわりの総てがそうですね。人の言う事を真に受けるのは愚者ですぞ。発せられる言葉の裏に存在する真言を推し量るのが人間ですぞ。それにしても森本草介画伯の最初は風景画と静物画でしたが、最終的に魅了されたのは女性(人物)像でした。それも背中を見せた若い長髪の妖艶な女性・・・。野田氏の最近も女性に浸っているとか(勘違いしないで下さいよ、創作に専念してるんですよ)。世の男性誰もが「女性の奥にある真実を掴み」たいんですよね。12月15日。

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