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今週の親仁ギャグ・2014年5月25日(日)~5月31日(土)

●「亀遊のこの歌をみるごとに、私は米英打つべし! を高らかに叫んだ水戸の先覚者、藤田東湖の歌を想い出すのです。『かきくらすあめりか人に天日(あまつひ)の かがやく邦の手ぶり見せばや 神風のいせの海辺に夷らを あら濤たたし打沈めばや』 東湖のこのはげしい攘夷の叫び声にも負けない気概を、遊女亀遊はこの辞世の一首に示しているのであります。いわば、『遊女亀遊』のこの一作は、私の叫び声ででもあったのです。」(同p98)そう、慎太郎氏は水戸藩主、徳川斉昭の側用人(思想的後ろ盾人で腹心、幕府的にいえば格式は老中に準じその権勢は老中を凌ぐ高官)で藩士の藤田東湖(ふじたとうこ、1806~1855)張りってとこだろう。つづく。5月30日。

●前回の衆議院選挙の折、ある候補に「今からは橋下・維新ですよ」と進言したら、何の拍子か両党は合流しいまがある。橋下代表のつまずきはそれが始まりだった。そう、独善主義で攘夷論者で戦争大好きのナショナリスト、石原慎太郎氏との相思相愛関係のことだ。明治維新の思想家と志士のなかで両者は誰に相当するのか・・・と考えつつ、もし司馬遼太郎氏が生きていたら訊いてみたいところだが・・・意外なところにその答えを発見した女性の第一号文化勲章受勲者である上村松園の著書「上村松園随筆集 青眉抄・青眉抄その後」に書かれた「遊女亀遊」の件(くだり)がそれ。「『遊女亀遊』」は明治三十七年京都の新古美術展覧会に出品したもので、私の二十九歳の作です。遊女亀遊は、横浜の岩亀楼のはしたない遊女でありますが、外国人を客としてとらねばならぬ羽目におちいったとき、大和撫子の気概をみせて、露をだにいとふ大和の女郎花 降るあめりかに袖はぬらさじ という辞世の一首を残して、自害した日本女性の大和魂を示した気概のある女性であります。当時アメリカ人やイギリス人といえば幕府の役人まで恐れて平身低頭していた時代で、これも何かの政策のために、そのアメリカ人に身を売らされようとしたのでありましょう。それをアメリカ人何ぞ! という大和女性の気概をみせて、悠々と一首の歌に日本女性の意気を示して死んでいった亀遊の激しい精神こそ、今の女性の学ばなくてはならぬところのものではないでしょうか。女は強く生きねばならぬ・・・そういったものを当時の私はこの絵によって世の女性に示したかったのでした。」(pp97-98)(to be continued) 5月30日。

拉致問題が大きく解決進展する可能性。昨年末から拉致被害者が北朝鮮国内で生活していることを打診してきたというから、今までとは姿勢が真剣だ。国内の困窮貧困や中国との関係の疎遠化などが影響しているのだろうが、無事の帰国を望む家族の高齢化も大きいのだろう。この15年か20年間か、テレビで横田さん夫妻の顔を1週間も見ない事はなかったように思う。めっきり老いた。被害者家族が亡くなったあとでの帰国なんて・・・考えたくもない。安倍ちゃんの努力は認めるが「憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認」の閣議決定強行突破とはまったくリンクしない政治課題であることをくれぐれもお忘れなく。5月30日。

此度(こたび・今月)の「月一回の県外脱出」は山口市の鮨屋さん。総勢5名の「萩の瀬付き鰺を喰らう会」と名打った(銘打つまではない)小旅。写真を撮るのは大将に失礼非礼無礼なので見せられないが・・・。水曜日で店休日だったが快く迎えてもらった。その所為もあって用意された「舎利」は全て皆の腹の中へ・・・完食。ちなみに車海老、穴子、サヨリなどなどは瀬戸内近海ものがほとんど・・・萩の赤ウニも堪能させてもらった。さすがに9人もの総理大臣が出た山口県は道路事情が素晴らしいこともあって日本海側と瀬戸内の時間的距離は近い。「魚介グルメ責付き(せっつき)ツアー」はお勧めだ。さあ~、来月の小旅は此処じゃ・・・思案中。5月29日。

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