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今週の親仁ギャグ・2012年8月12日(日)~8月18日(土)

8月15日は日本での終戦記念日。韓国では独立記念日(光復節)。8月15日に香港の思想家らが尖閣に上陸。8月15日が日本にとって敗戦記念日だからの行動だ。戦勝国の連合国は戦犯の起訴を1946年4月29日に行い、裁判の審理は5月3日に開始した。そして2年8ヶ月後のA級戦犯7人の死刑執行開始は12月23日の午前0時1分30秒。極東国際軍事裁判(東京裁判)はマッカーサー率いるGHQ主導だが、余裕の心憎い図りだ。4月29日は昭和天皇の誕生日5月3日は日本国憲法施行の日(1947年=昭和22年)。そして12月23日は明仁親王(今上天皇=平成天皇)の誕生日。GHQは天皇はじめ日本国民に対して、日を選んで「敗戦の辱め」を受けさせたのだ。日を選ぶのは政治の常套手段なのであって、泥鰌がめくじら立てることではない。それよりもそれよりも堂々と正当性を主張せよつづく。8月18日。

酸欠泥鰌内政だけで目一杯なら、総理大臣内政問題だけに精を出し、外交には「大統領制」を設けようではないか。外国に堂々とモノを申す国。勿論、アメリカにもだ。防衛も、領土問題も、TPPも、国連も、国際援助も、対テロも・・・・・そう、堂々理路整然時間をかけて・・・アメリカにも、中国にも、韓国にも、北朝鮮にも、ロシアにも・・・どの国へも。既に今は「ことば」で外国に圧倒され、占領されているこれじゃ、日本国民の「思い」が外国に理解されていないその前に外国に堂々とモノ申す勇気と能力の有る宰相を選ぶべきかつづく。8月17日。

●酸欠泥鰌の気に喰わない「立止り発言」。小泉首相から菅総理まで見られた「ぶら下り」は数名の「番記者」の質問に時折怒りの表情を織り交ぜての簡潔な答弁だった。酸欠泥鰌君は移動中に1、2秒立止ったふりをして1言、2言呟く。まさに「泥鰌の呟き」だ。さて、場所は何処だろうと探るに・・・はっきりしない。首相が寝泊まりする首相公邸は旧・官邸で、新しい官邸と同敷地内で繋がっているのは確か。であるから、あの「泥鰌の呟き」は官邸と公邸の移動中に違いない。「公邸発言」なのか「官邸発言」なのか、どっちにしても「法にのっとり厳正に対処する」とか「理解に苦しむ」だけのワンフレーズでは事が「領土」となれば、そのメッセージを受ける側の日本国民からすれば、それこそ「理解に苦しむ」短文だ、否、「泥鰌の単文」(単純泥鰌の文)だ。ちゃんとした会見場の「演壇」で最低10分はかけて「竹島」や「尖閣」に対する歴史認識と今後の対応について得得と語ってもらわなくては一国の大将ではなかろうつづく。8月17日。

8月15日の正午は終戦記念日の「1分間黙祷。診療が許せば、毎年、戦没者に「哀悼の意を表し、今の日本の現状に感謝し、今後の日本の発展と恒久平和を誓う」。今年は甲子園球場でその時を向えた。20分ほど前からか、場内放送で「起立・脱帽のうえ黙祷」する旨のアナウンスが3回ほど流れる。その瞬間はテレビ映像で見てきた通りだが、小学生はじめ皆が私語ひとつない静寂だ。それまでの蒸し暑さと試合の熱気は何処へ消えたか、額から汗が引いた。どこかで経験した空気だと思い起すと、そこは知覧の特攻平和会館。貴重な経験をした。英霊が甲子園にも帰って来て観戦しているのかも。写真有つづく。8月16日。

ポツダム宣言受諾(無条件降伏)が決定的となった終戦の2日前、1945年8月13日、日ソ不可侵条約を無視してドサクサ紛れに日本侵攻。「(日本人は)酒ものどを通らないほど怒っているだろうね」(メドベージェフ首相)。ロシア上院のシニャキン外交副委員長は、「日本の政治家は第2次世界大戦で連合国側に無条件降伏したことを思い出すべきだ。」(8月3日)。「国際社会での日本の影響力は以前と同じではない」は8月10日、竹島を訪問した李明博・韓国大統領の13日の発言。これだけ言われ放題で、大使を帰国させたり、国際司法裁判所への提訴くらいでは日本国民の感情はおさまらない。北方領土と竹島は既に実効支配されている。尖閣が日本固有の領土であれば堂々と「基地」を建設すべきだ。明日は終戦記念日酸欠泥鰌の発言が気になる。つづく。8月14日。

●先週の土曜日か、「ヒガシタチ」の「」で久しく泥酔寸前の「砂酔状態」(足元サクサク)で帰宅。いつもの常連のW氏とAYU女将とアルバイトのAちゃん、それに自営業のX氏とコンパならぬ「浪浪(老老)男女」の「混杯」だ。10時過ぎの御帰宅なんぞ、40代、否、50歳までは考えられなかった「午後の内様帰宅」だ。同時にテレビのチャンネルを回すと、時代劇チャンネルで「田原坂」(里見浩太郎主演)が上映中。「竹島問題」も相まって、最近、「征韓論」の西郷隆盛を研究中(?)の小生にとり、恰好の教材だ。征韓論に敗れ、中央を離れ(下野し)鹿児島で興農した隆盛ドンだが、果たして彼は朝鮮への出兵を真に考えていたのか(1873年の征韓論政変)。当時の東アジア情勢は、中国(清国)は西欧・アメリカ列強の侵略(植民地化)を受け、清国自身も日本への侵攻を考えていた(?)。北(樺太)ではロシアが触手を伸ばそうとしていた。西郷ドンにとって、日米修好通商条約(1858)などで開国の萌しは見えていたとは言え、未だ「鎖国」同然の我が日本国にとって、望んだ朝鮮遣使は列強国の餌食にならぬが為の「防衛論」ではなかったのか。弱腰の泥鰌内閣の存命中に、韓国も中国も香港も台湾もこぞって領土問題を挙旗し、尖閣へをも上陸しかねない勢いだ。我が雄・橋下徹氏の次期総理も現実化しつつある状況での各国の強硬姿勢。西郷隆盛(1827-1877)は・・・勝海舟(1823-1899)は・・・龍馬(1835-1867)は・・・加藤清正(1562-1611)は・・・小西行長(~1600)は・・・そして太閤こと豊臣秀吉(1537or1536-1598)は今の日本政府の意気地無さをどんなに悔やんでいることだろうか。きょうも過酒か・・・情け(無酒)ない親仁じゃのお~。日本の海岸線の距離はアメリカの1.5倍、中国の2倍、果たして韓国の何倍か。日本は大海に浮かぶ。海と向い合って来た歴史が他国と異なる。そう簡単に「島」を奪われては先祖に申し訳が立つまい。間宮林蔵(1775-1844)の辛苦を忘れたか。つづく。8月13日。

オリンピックもようやく終了。興味も甲子園にシフトして、体調も調整しやすくなった。オリンピックもショ―・ビジネス化され、サッカーやバレーボール、柔道なんぞは常から見飽きている。選手もメダル何ぞ取ろうものなら、CMタレントや解説者、大学教授などとして老後の生活まで保証される。豪邸にも住むことが可能だ。世界の3本指に入ったのだから、そのくらいは当たり前だろう・・・。それにしても、バレーボールやサッカーなんぞは見ていて新鮮味がない。新鮮味を感じない分、感動もそこそこで弾けそうな心臓の鼓動はゼロ。それに対して、冬季のカーリングではないが、フェンシングやレスリング、アーチェリーなんぞはオリンピッてクでないと見る機会がないから、反面、面白く感じる。ミュンヘンオリンピックの時代なんぞは柔道にしろ体操にしろどのスポーツを見ても新鮮味があり、金メダルを取ろうものならテレビの前で皆が小躍りして喜んだものだ。技の切れも然りだが、テレビの画像も比べものにならないくらい進歩した。審判もビデオがする時代になった。沢田研二がオリンピックの審判員になったかと聞く耳を疑った「ジュリー=Jury」。競技場の周りにはヘリ空母「オーシャン」が停泊し、地対空ミサイルも配備された厳戒の対テロ態勢。肝心な見物者の「幸福度」は如何程アップしているのだろうか。8月13日。

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