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今週の親仁ギャグ・2012年1月8日(日)~1月14日(土)

●あっという間の1週間だ。そして、今年も2週間が過ぎようとしている。と言うことは、1年の24分の1が過ぎ去ったということだ。今週は「花」の話で始まったが、何時の間や、途切れてしまったし、家康の歴史考証も頓挫した形だ。ちょいと、居酒屋放浪が過ぎるというこったな。1月14日。

今度は広島刑務所での殺人未遂犯の脱走事件。こりゃ、「ドリフタ―ズ」を観ているようだ。展開の速いコントだ。これだけ不祥事が連続したら、唖然!!! 広島刑務所だけの問題だろうか。足かけ2年とは言え、実質は10日余りで、特別手配人が1人減り、16年ぶりに1人増えた。カメラの死角と言うが、公務員の怠慢以外に「四角四面」な思考も問題だ。1月12日。

宮崎公立大学長が引責辞任出頭した特別指名手配人を警視庁の機動隊員が見逃し名古屋での殺人犯確保後の容疑者自殺何という公務員の体たらくだ。重要な指名手配人の顔は毎朝でも眺めて、職に向うのが捜査の基本だろう。身柄確保時の身体検査は「イロハ」だろう。動物病院で獣医師が検温や聴診、触診しないのに匹敵する「職務怠慢」・「プロ意識欠如」だ。この程度の意識しか持ち合わせないような輩に税金が使われることは到底許し難いことだ。そして学長辞任問題だが、この学長は何と、学長は辞めるが教授職には留まるらしい。こんな無責任な責任の取り様があろうか即刻、大学を去るべきだ。それが男というものだ。改革できなかったのは「真の男気」が無かったということだ。民間とは懸け離れた生温い感覚が行政に染み着いているのだ。これが諸悪の根源だ。宮崎公立大の最高責任者は市長。1月10日。

●「親仁の新成人へ贈る詞」。今日は成人の日、昔は1月15日が祝日であった。小生の出生地・美郷町南郷区では、確か1月2日に村主催の祝賀会があり、その足で同窓会場へ移動した記憶がある。32年前の話だ。さすがに今年は、式典をハチャメチャにするような不条理な荒ぶれ者はそうはいなかろう。首長の挨拶も例年のような他人事みたいな祝辞では駄目だ。日本の将来を背負う新成人を鼓舞するような、勇ましく思いやりの辞だ。ワイドショーで観る限り、女性の服装に和服が多いのには、何か救われそうな気がする。太平洋戦争が終わるまでの「人生2万日」(54.79歳)は昔の話、今や「人生3万日」(82.19歳)。焦らず青春を謳歌しなはれ。焦らずとは言っても何気にでは無く、何をやるにも信念や確固たる理念をもつことだ。やりたいことの無い者は、何でもいいから裸一貫で汗を流しなさい。汗を流したら、その分、先が見えてくる。御法度は、「食わず嫌い」と「先入観」。何処でも足を踏み入れれば、全てで奥が深いということに気づく筈だ。無法者は困るが、多少は世間に迷惑を掛けるくらいの「野風増」(中国・四国地方の田舎方言で「やんちゃ坊主」の意)でなくては大成すまい。間違っても若い時から金を貯めようとか思わず、10年間はやりたいことに打ち込み、そうすれば明るい未来がきっと拓ける。良い伴侶も自然と見つかる。10年間は我武者羅に突進するこったな焼酎も時には吐くほど呑んで「くだも巻い」てもらわなくちゃ、「焼酎呑(く)れ親仁の山芋掘り」も理解できないだろうそうだ、ギャグを発することも忘れずにな。1月9日。

●今年の大河ドラマは「平清盛」(1118~1181)で平安末期の歴史話だ。「古代のハス」は中尊寺金色堂内藤原秀衡(~1187、宇治平等院を模して無量光院を建立)の棺内に保存されている首級桶から発見された。この首級は忠衡(1167~1189)のものとの説があったが、昭和25年の実見調査で忠衡の兄・泰衡(~1189、頼朝の攻撃を受け殺された)のものとするのが定説化している。平家(平氏)を倒し、鎌倉幕府を開いた源氏の源頼朝(1147~1199)の異母弟・義経(1159~1189)は、当時栄華を極めていた藤原秀衡に庇護され、主君として頼朝を倒す計画であった。秀衡は、忠衡と異母兄の泰衡、そして庶長兄の国衡に一致団結して倒幕を遺言して没したが、その死後、兄弟の意見対立から兄の泰衡が忠衡を誅殺した。忠衡は秀衡の遺言を守り、義経を大将にして頼朝に対抗することを主張した。これにより義経は泰衡に急襲され、衣川の館で自殺。頼朝や義経の父は源義朝(1123~1160)であり、義経はその9男。義経の母は義朝の妾であった常盤御前(1138~没年不詳)。常盤御前は清盛に請われてその愛妾となり、一女(廊御方)を生んだとされる(「平治物語」・「平家物語」)。その後、常盤御前は1162年までに清盛から一条(藤原)長成に下げ渡され、一条能成や女子を生む。秀衡の舅である藤原基成は後白河法皇(天皇、1127~1192)の院近臣。戦国時代と同様に家系が複雑過ぎて、面白過ぎる。やはり、女が中心だ。花から脱線し過ぎだ。つづく。1月8日。

●花を茎から切り取ったものを「切り花」と言い、それを束ねたものが「花束」、そう、ブーケだ。田圃で蓮華を摘んで頭飾りにする子供の遊びから、冠婚葬祭の飾りまで様々である。あのツタンカーメンのミイラにも花束が供えられていたのだ。先ほど世界遺産に登録された平泉・中尊寺の金色堂に安置されている「泰衡の首級桶」から発見された蓮の種も献花されたものであろうか。これは昭和25年の遺体調査での発見であり、その後平成5年に発芽し、平成1雄年7月14日に蕾をつけ、7月29日、800年ぶりに「古代ハス」として開花したつづく。1月8日。

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