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今週の親仁ギャグ・2010年8月8日(日)~8月14日(土)

バックネット裏に陣取る黄色い帽子とタオルの一団は10人ほど。延岡学園のバックネット裏応援団だ。2年生で主砲・4番の濱田晃成三塁手の親戚のようだ。彼は2安打・2打点・2盗塁の活躍を見せた。応援の彼らも鼻高々であった。試合は、先発のエース・坂元選手の球威が今一つで心配されたが、押川選手との度重なるスイッチでピンチを凌ぐ展開が続いた。ついに八回には坂元投手の投げる球がお辞儀をし始めると、代わった背番号11の小田原利樹選手が外角のスライダーで相手打者を翻弄して得点を許さず、延長10回裏のサヨナラを生みだした格好である。小田原投手は福岡県出身の3年生で、県予選前までは背番号1のエースであった。道理で、マウンドさばきも相手に動ずることなく冷静で、立派なピッチングであった。10回裏は、1アウト一・三塁でバッターボックスには矢野選手。3度目のスクイズは田中投手の外し過ぎた投球(ワイルドピッチ)で三塁ランナーの横山選手がサヨナラの生還でゲームセット。実はこのプレーで相手方の大分工の塔鼻監督からクレームがついた。察するに多分、スクイズで打者の出したバットがボールに触れていたのではないかとの内容と考えれたが、ビデオを見返すに、矢野選手の出したバットは途中で明らかに引かれており、ボールはその数十センチ彼方を血迷い、捕手のミットの土手に弾かれて三塁側を点々と転がった。結果的に、3投手の継投策と、同じ打者に3回ものスクイズのサインを出した重本浩司監督の執念の采配を褒めるべきか、相手方(大分工)からすれば満塁策にしなかったのを悔やむか明日は仙台育英戦。先発はどの選手か、どれだけ打ってくれるか楽しみだ。仙台育英-開星も観戦したが、育英は完全に負けていた試合を拾っただけに、調子付く可能性は大だ。間違っても、ヤクルトの投手・由規の弟・佐藤貴規選手を調子付けないことだつづく写真有。8月14日。

甲子園秘話・その2。左隣の若者は神奈川に在住で、前夜11時に新宿から夜行バスに乗って来たという。彼の隣もまた神奈川で、第3戦の東海大相模-水城戦が目当てだ。そして、テレビ朝日のカメラの真横に坐っている「甲子園おじさん」が、1列~4列目までの特等席を仕切っている「元締」である。彼は順番取りの為、閉門と同時にゲートに並んで夜を明かすのを毎日繰り返しているというから仰天だ。彼らは10人くらいの仲間で、甲子園で知り合ったようである。そして、テレビに映りたい仲間の仲間に一時でも席を譲っているようでもあった。勿論、仲間が来ない日や早退すると、小生のような余所者にも席を譲る太っ腹である。つづく。8月13日。

甲子園秘話・その1。2日目はこのの本来の目的である延岡学園-大分工業戦だ。尼崎のビジネスを8時に出て、阪神電鉄で甲子園に入ったのが8時半。前日に続いてバックネット裏へ、いざ出陣。極めて幸運にもテレビに映る3塁側の席をゲット(写真有)。右隣の人は京都からほぼ毎日出陣してくる。彼は昭和23年北海道生まれで集団就職で京都へ来たという。彼のまた右隣の人は東京から来ていて、大会中ウイクリー・マンション住まいだ。このように、甲子園では居酒屋よりも簡単に自己紹介できる雰囲気だ。小生が宮崎から来たことを言うと、東京のおじさんは「それじゃ、マキを知っているか」と訊いてきた。マキは牧憲二郎氏のこと。1965年(昭和40年)に高鍋高校がベスト4に入った時のエースで、その年のドラフトで南海に1位指名された人物である。彼は当時銚子商業の2年生で、レギュラーではなかったという。高鍋は準決勝で1-2で銚子商業に敗れた。昭和40年の決勝戦は2-0で三池工業が銚子商業に2-0で勝ち優勝している。つづく写真有。8月13日。

精神的には清涼剤だが、観戦は熱中症。10日(火)の大阪一便で甲子園へ。空港からはリムジンで甲子園直行。球場に入ったのが砺波工-報徳学園戦の9回。その後福井商-いなべ総合学園、明徳義塾-本庄一、そして目当ての興南-鳴門を観戦。10時半から18時までの「暑さ」との戦い。馬鹿にしかできないかも知れぬが、我慢大会がしたいなら炎天下のバックネット裏観戦をお勧めする写真有つづく。8月12日。

●近くてもたまにしか帰省できない。命を預かる仕事を選択した人間の宿命だ。7日(土)は昼休み時間に2件の手術を済ませ、そのまま午後の診療へ突入。午後の診療は4時半の受付終了だが、そうは問屋が卸さない。5時半に病院を出たが、若い衆が診療を終えたのは7時だ。久々の帰省なのになぜ日帰りか、との疑問。8日(日)も勿論診療で、3件の手術が待っていた。うち1件は骨盤骨折である。これが獣医師の仕事の実際であり、宿命である。8月9日。

●7日の土曜日、知人のおじさんの通夜のため、日帰りで神門へ行った。往復とも10号線を運転したが、午後5時半に家を出て、8時前に神門に着き、通夜を済ませた後、親の顔を拝んで夜中の12時半に戻った。宮崎-高鍋間の高速無料化の恩恵で、以前よりは片道20分くらい早いようだ。79歳で他界したおじさんは、長男が小生と同級生で、小生の親の仲人でもあった。小中学の時分、将棋をさしては教えてもらった。安らかな寝顔で安堵した。子供には善く接することを訓えてくれた、当時では稀有なおじさんだった合掌。8月9日。

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