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今週の親仁ギャグ・2010年4月4日(日)~4月10日(日)

●「安売り」は、お客の為には良い面もあるが、忙しいばかりで従業員の給料が上がらない。「三方よし」という近江商人の精髄がある。「売り手よし、買い手よし、世間よし」で、商売に直接関わる者だけでなく、世間全般が潤うことを目指す。商売の大原則だ。しかし、「背に腹はかえられぬ」のも現実。小生のごとき小事業主は、取り敢えず、サービスと技術の向上で立ち向かうしかあるまい。「冬は必ず春となる」(景気は必ず好転する)ことを信じて・・・。4月10日。

●最近、300円弁当が飽きられ、500円弁当にシフトしているらしい。また、高級時計高級アパレルが復権しているとのことだ。「リンガーハット」は国産小麦と国産野菜7種を売りに、脱・デフレの初陣を切り、値段を上げた。しかし、同じ値段で2倍まで麺が増量できる。一方、「吉野家」や「松屋」、「すき家」は旧態依然の「牛丼」安売り商戦展開中というか、加速中である。近々近くに「すき家」がオープンする。度を過ぎて余りにも安いと、安全・安心面で不安になり、バイトの店員の時給も気になる。全てが、負のスパイラルでは困る。カルテルは御法度だが、価格競争は有る程度のところで止めないと、全体の経済が小さくなる。給料も、正社員数も、投資も、税収も全てが減る。「子供手当」や「高校授業料無償化」が、親父の弁当代や呑み代、パチンコ代に消えるようでは情けないが、起爆剤やカンフル注射としての期待も・・・・・これもまた情けない。4月9日。

●我欲と名誉のために政治屋業に勤しむ永田町の住民。伊藤博文(1841-1909)は、「寝ても起きても国の事ばかりを考え、家庭や家族のことを顧みたことがなかった」という。この政治家だけは、国事に命を賭しているであろうと思っていた人間が、次から次に化けの皮をはがしている。そういう御時世、今日の夕刻、福岡県から観光で青島を訪れていた人が、青島の道路に倒れていた心肺停止状態に近い犬を連れてきた。交通事故によると思われる「気胸」で救命できなかったが、きちんと診察代を支払って病院を後にした。「この病院に連れて来て良かったです」との謝意の言葉が、無性(無上)に嬉しかった。出来そうで、そう簡単に出来ることではない。頭が下がる。4月8日。

●今日は水曜日である。本院の「年中無休体制」を始めて、最初の水曜日。若い獣医師2人が担当してくれる。が、やはり心配である。手術を1件入れ、外来も手伝った。今まで休診日であった水曜日の外来は「余裕のよっちゃん」と踏んでいたが、予想外のクランケ数で、「病気に休みは無い」ことを改めて実感した。4月7日。

●「古希(古稀)」を広辞苑で引くと、[杜甫、曲江詩「人生七十古来稀」]70歳の称。意味は「人生、70歳まで生きる(生きた)ことは、昔から今まで稀だ」ということだ。与謝野馨氏と平沼赳夫氏が造った新党の名称は「たちあがれ日本」。「立ち枯れ日本」などと揶揄されているが、70歳にしてよくぞ「たちあがった老頭児(老党)」と褒めて進ぜようではないか。御両人は麻布高校の同級生。同級生の好(よしみ)か、余生を「永田町政治ごっこ学校」で楽しもうという魂胆か。4月7日。

●今のマスコミは、ダイエット食品やサプリメントの宣伝・広告で持っているのではないかと思うくらい、その種のコマーシャルが隆盛を極めている。が、「やや太り過ぎ」よりも「痩せ過ぎ」の方が寿命が短いこと、また「5キロ以上の体重増加」よりも「5キロ以下の体重減少(ダイエット)」の方がリスキーである、という統計学的調査結果が報告されている。小生の場合、10年前と比較したら、5キロどころの増加ではないので、論外であろうが、一念発起のダイエットで5キロ減量した折、その5年前のズボンが佩(は)けたときの感動は、「中等物買いの大銭儲け」の気分であった。4月5日。

●「安物買いの銭失い」とか「安物は高物」という慣用句がある。我々の世代は、ブランド物なんぞを持っている「おっさん」を見るにつけ、いつかはああいう身分になりたいと、心密かに目標としていた。最近の若者は、どうもそうではなく、開き直っているのか、安物で済ます傾向にあるらしい。値の張るものが必ずしも良いものとは限らないが、丁寧に扱えば、10年も20年も持ってくれる。長い目で見れば、反って、安くつくから、冒頭の文句があるということだ。日本中の若者に「平和ボケ」や「中流階級ボケ」の付けが蔓延(はびこ)り、努力と勤勉性が失われたら、近々ヤバイことになる。4月5日。

●「勉強」と「学習」と「研究」とは自ずと意味が違う。「勉強」を広辞苑で引くと、①精を出してつとめること、②学問や技術を学ぶこと。さまざまな経験を積んで学ぶこと、③商品をやすく売ること、とある。勉強好きにこしたことはないが、嫌であっても耳を傾け、「ひたすら我慢する」ことそのものが「勉強」である。1時間でも2時間でも、いや10分でも20分でも集中して机に座る。そうすれば、実社会で最低限必要な簡単な漢字や数学の計算くらいは習得できる。「子供手当」の財源は国民の貴重な税金であり、教育の有り方・有るべき方向性に使って貰いたい。「教育や税金の安売り」に精を出して「勉強」しているようでは、情けない。4月4日。

●極々少数であろうが、雪が降ったり、土砂降りの日は学校を休む連中に、テレビのインタビュー・マイクが向けられた。「子供手当」の尋ねに、「いい親孝行になる」と応えていた。我々の年代でも家庭の貧困のため、高校に行きたくても叶わない学生が珍しくなかった。それよりも一回り前は、今に言う団塊世代(昭和22年~24年生)で、「集団就職列車」の時代である。卒業式の当日、家に帰らずに、そのまま都会へ向かった。またまた、それよりも前の戦前・戦中世代は、学校に行きたくても家事の手伝いで、叶わなかった。またまたまた、それよりも前の世代は、戦争が若い命を散らした。「勉強できる境遇に居ること自体が幸せだ」と、教育しなかった親が悪い。この連中が、将来、他人や世の中に迷惑を掛けなけいことを願うが、世間はそう甘くない。4月4日。

●「振蕩混和(しんとうこんわ)」とは、試験管の中の液体と他の物質とを良く振って混ぜ合わせることを言う。反民主党票の取りこみを掲げる「第3極新党」の共同代表の一人は、「君死にたもうことなかれ・・・」の反戦家・与謝野晶子(1878-1942)の孫、相方はA級戦犯の平沼騏一郎(1867-1952)が養父。最近の政治はわれわれ平民の念(おも)うところと、物の見事に正反対に動いている政治(世紀)末は明らかだ。元が同じ政党でも「左」と「右」がそう簡単に「新党混和」して貰っては、世の破滅だ。4月4日。

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