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12月6日(日)-飲酒の善し悪し-その5・讃酒歌

 酒の起源がいつかは想像もつかねど、どのようにしてできたのかは、何かの本で読んだ記憶が薄らげにある。「ノシシなどの獣類がドングリなどの木の実や果実を喰い、その吐物に空気中の酵母菌が舞い降りて、自然とアルコール発酵が起こり、そしてそこにたまたま通りすがりの咽喉の乾いた鼻の利く男がいた・・・」という話である。

 角川書店・編(執筆担当・坂口由美子)のビギナーズ・クラシックス万葉集(平成13年初版)の120ページに「酒を讃(ほ)める歌」の欄がある。この本の解説では、当時既に清酒もあったらしいから、驚きである。いくつか紹介しよう。

 1.験なき ものを思はずは 一坏の 濁れる酒を 飲むべくあるらし(甲斐のない物思いなどをするよりは、一杯の濁酒を飲むべきであるらしい。)

 2.いにしへの 七の賢しき 人たちも 欲りせしものは 酒にしあるらし(昔の中国の七賢人たちも、欲しがったのは酒であるらしい。)

 3.賢しみと 物言ふよりは 酒飲みて 酔ひ泣きするし まさりたるらし(いかにも賢ぶって物を言うよりは、酒を飲んで酔い泣きする方がまさっているらしい。)

 4.言はむすべ 為むすべ知らず 極まりて 貴きものは 酒にしあるらし(何とも言いようもなくどうしようもなく最高に貴いものは酒であるらしい。)

 5.なかなかに 人とあらずは 酒壺に なりにてしかも 酒に染みなむ(中途半端に人間であるよりも酒壺になってしまいたいよ。そうすれば、たっぷりと酒に浸ることができるだろう。)

 6.あな醜 賢しらをすと 酒飲まぬ 人をよく見ば 猿にかも似む
(ああ、みっともないよ。りこうぶって酒を飲まない人をよく見ると猿に似ているよ。)

 以上は「太宰帥大伴卿、酒を讃むる歌十三首」のうちの6首である。作者は大伴安麻呂(?-714年)の子で大伴家持(717年?-785年)の父親である大伴旅人(665年-731年)である。「旅人は六十歳を過ぎた晩年九州に下った。当時としてはかなりの老齢で都から遠く離れるのは辛いものであったろう。その上彼は赴任早々妻を喪った。・・・孤独な老いの身を酒で慰めていたのだろうか。」と解説にある。

 万葉集は「現存最古の歌集。20巻。仁徳天皇皇后の歌といわれるものから淳仁天皇時代の歌(759年)まで約350年間の長歌・短歌・旋頭歌(せどうか)・仏足石歌体歌・連歌合せて約4500首、・・・。大伴家持の手を経たものと考えられる。・・・」(広辞苑)とある。完成は759年以後と見られている。
 
 大伴旅人と言えば、宮崎の偉人「若山牧水」(1885-1928)を想い起す。牧水は1日に一升以上を飲む大酒豪で、旅と酒とをこよなく愛した歌人として知られる。牧水の長子は若山旅人であるから、その名の謂れがもしや大伴旅人だとしたら、牧水の傾倒ぶりが察せられよう。牧水は肝硬変により、43歳で死去している。代表歌は「幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく」、「白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ」などであるが、酒を讃むる歌も多い。

1.白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒は静かに 飲むべかりけり

2.それほどに うまきかとひとの 問ひたらば 何と答へむ この酒の味

3.人の世に たのしみ多し 然れども 酒なしにして なにのたのしみ

4.酔ひぬれば さめゆく時の 寂しさに 追われ追われて 飲めるならじか

5.鉄瓶を 二つ炉に置き 心やすし ひとつお茶の湯 ひとつ燗の湯

6.酒の毒 しびれわたりし 腸わたに あなここちよや 泌む秋の風

7.鉄瓶の ふちに枕し ねむたげに 徳利かたむく いざわれも寝む

8.飲むなと 叱り叱りながら 母がつぐ うす暗き部屋の 夜の酒のいろ

 大伴旅人と若山牧水。生きた時代に、約1200年もの隔たりがある。しかし、歌っているのは寂しい、独りよがりの、甘えの、哀しい男の性であるから、われわれ凡人も堂々と酒が飲めるというものだ。余りの共通点に驚嘆至極である。酒飲みの論理と言われそうだが、酒というものはそうものだ。黙って飲めば良いのだ。

 ひとまず、完結。

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