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12月3日(木)-画聖「平山郁夫」逝く-

 きのうの12月2日、日本画家の平山郁夫画伯が死去した。最近テレビで見なくなったと思った矢先の訃報である。画家は長寿なので、まだまだ活躍を期待していただけに残念である。
 今日の毎日新聞の一面のトップは「米、アフガン3万人増派」とあり、その左に「平山郁夫さん死去 日本画の第一人者 シルクロード描く 79歳」とある。2006年12月自宅で、自作の「アフガニスタンの砂漠を行く・日」をバックにインタビューに答える画伯のカラー写真が載る。
 つい先ほど久しぶりに、手持ちの1999年の「美術年鑑」(美術年鑑社)をひらいてみた。はじめのほうに、1998年度受賞作家に文化勲章・平山郁夫とある。項をすすめると、現代日本画家・「日展」には東山魁夷(1908-1999)、高山辰雄(1912-2007)、奥田元宋(1912-2003)、佐藤太清(1913-2004)、大山忠作(1922-2009)の順で名を連ねる。次の「日本美術院」では小倉遊亀(1895-2000)、片岡球子(1905-2008)、岩橋英遠(1903-1999)、平山郁夫(1930-2009)、守屋多々志(1912-2003)の順で並ぶ。「創画会」では上村松篁(1902-2001)、秋野不矩(1908-2001)、加山又造(1927-2004)が並ぶ。錚々(そうそう)たるメンバーで、すべての画家が生前に文化勲章を受賞している。
 東京芸大の学長を2度も務め、国内外の文化財保護活動にも精力的であったことから、平山郁夫画伯の姿や発言はテレビでよく見かけた。画伯の本画も直に、それこそ多く鑑賞した。数年前、東京の日本橋三越で「平成洛中洛外図」を堪能し、2004年に宮崎県総合博物館で開かれた「平山郁夫からのアピール 流出文化財を守れ」にも足を運んだ。ほかにも、事あるごとに愉しませてもらった。
 「仏教伝来」(1959年)や「入涅槃幻想」(1961年)などの仏教画とシルクロード・シリーズ。「広島生変図」(1979年)に見るように、昭和20年広島での被爆体験をもち、後遺症に悩んでいたいう。いつどうなるか知れない命を憂う半面、否、それゆえ果敢に筆を振るった画伯。過酷な砂漠を駱駝の背に跨(またが)り、ひとつふたつ着実に歩を積むキャラバン(隊商)の姿は、幾重にも岩絵具をかさねる画法と相まって、画伯自身の投影であろう。
 画伯の著書「群青の海へ」(中公文庫、1988初版)の81ページからの「妻と義父に支えられて」に、若かりし画伯の将来を決するエピソードが綴ってある。「・・・そして、卒業後、私と彼女は前田青邨先生の教室で、共に副手として残ることになりました。ちなみに、首席で卒業したのは彼女でした。・・・・・そればかりか、やがて、彼女は絵筆を折ることになりました。「一緒に仕事をしていれば、将来かならずどちらかが足を引っ張ることになります。あなたは絵をやめなさい」 と、仲人を引き受けてくださった前田青邨先生からいわれたからです。」
※画伯は次席であった。※前田青邨(1885-1977)は歴史画を得意とした。
 シルクロードを真の髄から愛した画伯。奇しくも新聞の同じ一面にアフガン戦争と訃報が同時に載ったのは、運命の悪戯か、残念至極である。画業はもちろん、国際親善にも多大の功績を残した画伯の訃報は、日本文化や芸術にとって、大いなる損失である。これほどの偉大な人物が一瞬にしてこの世を去ることは、絵は残るにしても、日本の魂がまたひとつ失せたことになる。合掌。

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