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12月3日(木)-飲酒の善し悪し-その4・酒乱の種類

 いつぞや登場した山口瞳「男性自身」傑作選(熟年篇、嵐山光三郎編)に「酒乱の種類」というエッセイがある。それによれば酒乱には二種類があるという。「ひとつは、あとになって、自分を苛め抜くという型である。二種類あると言っても、こっちのほうが圧倒的に多い。この反省癖というのがいけない。・・・・・・・・・・もうひとつの型は、反省癖のない人である。アッケラカンとしている。昨夜のことは記憶していないと言う。記憶していても、別に気に病むこともない。平気の平左衛門である。」
 山口氏によれば、反省癖の酒乱「酒で失敗しても、その翌日、あるいは、そのあと五日間ぐらい、大いに反省し、自分を責め立てる。すると、もうこれでいいやということになる。あるいは、その、自分を苛めた力が逆に作用してくる。これがこわい。反省癖の強い人ほど酒乱の傾向を帯びることになる。自分を責めるのと同じ力でもって他人を責めたてるのだから大変だ。」と書き、もう一方の反省癖のない人については、「こういう人を責めるのは気の毒だという気がする。彼は病気なのである。私は、むしろ、うらやましいような気がする。・・・・・この型は病気だと思うことにしているが、前者のほうも病気である。ただし、前者のほうは心理学的、後者のほうは生理学的という違いがあるようだ。後者は乱暴を働くが、前者の方はカラムという場合が多いようだ。酒場でカラマレても、前者のほうだとわかっている場合は、それほど腹が立たない。翌日になって、アイツ、いまごろは大変だぞと思う。よく知らない人にカラマレて、翌日になって彼が後者の型であると知らされると腹が立つ。」、と綴る。
 耳が痛い話だ。異論・反論はないが、いずれにしても、酒乱は酒乱で、酒癖の悪いのに変わりはない。飲んでそれなりの好きなことをするのだから、その代償もそれなりのものと覚悟はついているものの、翌日の二日酔いとチョッピリの反省は、いくら経験しても辛い。小生の場合、日が沈んで宵の口ともなれば、辛さよりも飲酒欲のほうが勝り、そして夜が更けるにつれて、きちんと、昨日の立派なヨッパライになっているからして、かなりの幸せ者だ。過ぎたるは及ばざるが如し、とはよく言うが、酒乱にちょうどとか、ほどほどという文字はないからして、過ぎるのは、当たり前である。
 そうは言っても、世の中には、いくら飲んでも、「楽しい酒」を貫ける紳士もいなくはない。酒飲みにも、学習と経験で酒乱の悪魔をねじ伏せる知恵がなくてはなるまいが、そんな紳士に訓を乞ってみるか。否、止めておこう。「そんなのシュラン、馬鹿!」と返ってくるに違いあるまい。

つづく

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