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8月6日(木)-県立美術館は改造すべし。建造物を見に行くのではない、絵を観に行くのである。-

 今日は「ペット・ラジオ診察室」の録音の日である。休日前の「過ぎる晩酌」は欠かせない。そうすると他にシワ寄せがくる。今朝は3時半に起きて、4時から放送内容のまとめ、アナウンサーにそれをファックスしたのが6時過ぎだ。9時から入院の世話をして、10時から録音開始である。終わると心からホッとする。
 それから、愚妻を伴い市内のうどん屋で第一食。そして、今日のメインである、「子どもたちに残したい名画」、と銘打つ「石橋美術館展」を観るため、神宮の県立美術館に出向いた。土砂降りではないが、傘の要る生憎の雨で相合傘。駐車場から目的地までがことのほかに遠い。1階の受付カウンターでチケットを求め、展示室のある2階へ。チケット切り場には2人の女性が居たが、2人とも今回展示してある作品の関連絵葉書を売るのに懸命で、出口の方を向いたままなので「客」に気づかない。小生は別途、中で提示するのかと思い、「盗人」のようにそのまま入室。・・・・・・・・・・。展示室内は人も比較的疎(まば)らで、割合にじっくりと鑑賞できた。入口も出口も同じなので、出端に「御宅らは絵葉書売りに夢中で、肝心なチケット切りは大丈夫?」と問いかけ、チケットを見せて入室時の経緯を話した。
 さすがのチケットは自前だが、作品と作家解説は「石橋美術館」の出来合で、県立美術館独自のパンフレットなどはない。専属キュレーターに「何でもいいから、ちょっとは書けよ」、と言いたい。それでも、青木繁(1882-1911)の「海の幸」と「わだつみのいろこの宮」、坂本繁二郎(1882-1969)の「放牧三馬」、黒田清輝(1866-1924)の「針仕事」、佐伯祐三(1898-1928)の「コルドヌリ(靴屋)」、岡田三郎助(1869-1939)の「水浴の前」、古賀春江(1895-1933)の「素朴な月夜」など、目にとまって気に入った絵葉書を11枚買った。
 1階に下り、所蔵の和田英作(1874-1959)や坂本繁二郎を目的に「常設展示室」へ入ったが、残念にも展示なし。その代わりに山元春挙と益田玉城、山内多門の日本画が観れた。出口で○○展という耳にも目にもしたことのない作家(?)の作品が展示中で、外から数点が目に入った。受付の女性が「無料ですよ、どうぞ」と宣うではないか。「無料」にちょっとムッときて、「青木繁を観た後でこれはねェー」と言うと、「お口直しにどうです」と追撃ちをかけるではないか。
 県立美術館は高齢の方でも無理なく入館できるように、入口(玄関)まで車付けできて然るべきである。館内は不必要にだだっ広い。日本画なら空間も要ろうが、ただただ目的の絵までが遠い。誰が設計したかは知らぬが、発注者は県であろう。今更怒っても仕様ないが、一部を他の目的に活用するなど、利便性の良い美術館に生まれ変らせる必要があろう。アルバイトかパートか知らぬが、スタッフの教育も徹底しないと、折角の名画鑑賞に水をさすことになる。「東京にでも行って勉強して来い」、と言いたい。
 されど「石橋美術館」の所蔵品、是非とも夏休み中の子ども達に足を運んでもらいたい。ブリヂストン創業者の故・石橋正二郎氏(1889-1976、久留米市出身)が収集したため、展示作品は九州出身画家が多い。残念ながら宮崎出身者はいないが、「思い出(下図=下絵のこと)」の中沢弘光は最後の佐土原藩主の子息(東京生まれ)である。

追:宮崎県立美術館の年間予算は4~5億円の規模である。年間の入場料などを含めた収入は驚くことなかれ、その10分の1程度である。予算に比べ収入が少なすぎるのでる。現在、不景気で絵画の相場が安い。こういう時こそ、経費を節約して名画を入手するくらいの発想でないと、他の美術館との競争には勝てない。究極は、美術館の長期閉鎖も考えるくらいの思い切りがあれば、今所蔵している「変なピカソ」よりも芸術的価値の高いものをゲットできるのである。この類の「(税)金喰い虫」はいっぱいある。美術館は必要であるが、そこで「あぐら」をかいているようでは、財政改革はできない。

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