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漢字と日本・その2「大和民族の言霊思想」

 「倭」は①「中国・朝鮮で用いられた日本の古称。『倭人・倭寇』」、②「日本の自称。やまと。和。『倭漢朗詠集』」と広辞苑にある。日本では「倭」=「和」=「大和」だが、中国の中華思想では「背が曲がってたけの低い小人の意」とある。私は国語学者でも歴史学者でもないから大それた法螺は放言できないが・・・「倭」はやっぱり中国から見た「大和」の国への蔑称と見るほうが自然であろう。

 中国で漢字が誕生した(確認されている最古の漢字)のは今から3千400年くらい前の紀元前14世紀ごろ。例の甲骨文字で、殷王朝において、占いの結果を亀の甲羅や牛の肩甲骨に彫り込んだもの。

 この漢字を使った書物が日本ではじめて書かれたのが歴史本の「天皇記」と「国記」である(どちらも現存せず)。これらは聖徳太子蘇我馬子620年に編纂した。それから100年後の712年に「古事記」が、720年に「日本書紀」が生れた。西暦57年の「漢委奴国王」の金印と吉野ケ里遺跡の「銅鏡=連弧文銘帯鏡」からの約600~700年間、日本人は少なくとも漢字を使用しなかったことになる。もちろん(大和)言葉は間違いなく喋っていたであろうが、独自の文字はもっていなかったのも確かである

 ではどうして漢字を使用しなかったのか。簡単には大和言葉を話す大和民族には「言霊思想」というものが存在し、言葉を発すると現実にそのことが起こる・・・と迷信的に信じられていた。例えば「死ぬ」という不吉な「言」を口にすると、本当に「死ぬ」という「事」が起きる・・・と考えられていたのである。喋ることですらそうであるのに、ましてや文字で書き残すことはその実現を増すことになったのである

 「漢委奴国王」の金印を頂戴した当時、大陸へ渡った日本側の使者や大和(奴国)の王が漢字の意味をどの程度理解していたのであろうか。ある程度以上理解していれば「漢委奴国王」と書いてあるものを黙って持ち帰ることなど考えられないことだ。そうであれば、やはり「倭」とは蔑称にほかあるまい。つづく

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