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「ニシタチ・新発見」-その1・ニシタチ花魁道中-

 江戸の「吉原」、京の「島原」と言えば、遊郭や茶屋の代表格。遊郭の始まりは秀吉の時代らしいが、「「花魁」は、吉原遊郭の遊女で位の高い者のことをいう。18世紀中頃、吉原の禿(かむろ)や新造などの妹分が姉女郎を「おいらん」と呼んだことから転じて上位の吉原遊女を指す言葉となった。「おいらん」の語源については、妹分たちが「おいらの所の姉さん」と呼んだことから来ているなどの諸説がある。江戸時代、京や大阪では最高位の遊女のことは「太夫(たゆう)」と呼んだ。また、吉原にも当初は太夫がいたが、「おいらん」という呼称の登場と前後していなくなった。・・・・・」(Wikipedia)」。
 
 「「花魁は、吉原の遊郭で最も格の高い遊女で張り店を行わないため、引手茶屋を通して「呼び出し」をしなければならなかった。呼び出された花魁が禿や振袖新造を従えて遊女屋と揚屋・引手茶屋の間を行き来することを滑り道中(後に花魁道中)と呼んだ。」(同)」。

 街の、ある情報筋から「12日の暮6つ(午後6時)にニシタチにて花魁道中」と聞き及んだので、早々に身支度を整えて「ニシタチ」へ馳せ参じた。

 「「楽しくて新しい夜の街づくり」を目指す周辺7商店街が合同で始めて企画した。今回のテーマは「和」。花魁役はニシタチのクラブ、スナックを代表して13人の女性が務めた。」」(13日付・宮崎日日新聞「歩廊」)。

 小生は、つい最近、「ニシタチ」にもいろんな「ちい発見」があるに違いないと、酔いに任せての「千鳥足・珍道中」を始めたばかりであった。これから紹介仕るゆえ、御期待あれ!

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