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屋台おでんの「ホームラン」。

  これからの季節は「おでん」だ。焼酎の友に最高だ。最初の一杯は熱燗(50度)の焼酎に限る。焼酎とともに熱い「おでん」をドスンと胃に流して落とし込まないないと物足りない。

  「おでん」のルーツは室町時代の串刺しの味噌田楽や田楽に遡る。田楽の「でん」に接頭語の「お」がくっ付いて「おでん」と呼ばれるようになった。「稲の豊穣を願うため、祀りものとして田んぼの畦に串刺しにしてあった「蒟蒻」を、餓えた呑百姓の一人が焼いてそのままか、味噌をつけて食ったのが始まりであろう。」というのを何かで読んだ記憶がある。農具の鋤で獣肉を焼いたのが始まりという「鋤焼」に似た話である。

  その後江戸時代になって濃い口醤油が発明され、「おでん」は煮込んで焚いた、所謂「関東焚」として今風の料理へと発展した。しかし、その後江戸では何故か「おでん」は廃れた。ところが、関西に伝播された「おでん」は鰹節や昆布で出汁をとった汁(つゆ)となって甦った。この薄い汁が「関西風おでん」である。関西では、この「関西風おでん」と関東から伝わった黒めの汁で本来の「おでん」である「関東風おでん=関東焚」の2つが存在した。そして、大正12年(1923年)の関東大震災の際、震災の炊き出しに出されたのが「関西風おでん」であり、その後関東でも白めの汁の「関西風おでん」と江戸で生まれた「関東焚」が復活され、2種のタイプが共生することとなった。

  現在では関西風、関東風が入り乱れているのが実際であろう。宮崎では「おでん」は断然白めの汁で、「関東焚」に出会ったことは未だない。

  小生は「おでん」も好物の一つだ。大学院時代は本郷キャンパスから自転車で数分の追分寮に住んでいた。6畳一間で2人部屋であった。相棒は横浜生まれの法学部の学生で恐ろしいくらいに大学に行かなかった。寮費は月1万円で、寝るだけの空間であった。追分寮はその後取り壊され、今はない。律儀に「寮取り壊しの案内」が来たのが、仄かに嬉しかった。

  あの界隈でもう一つ世話になったものがある。表題の「屋台のおでん屋」の「ホームラン」である。「ホームラン」は追分寮から自転車を漕いでやっと上れるような坂を下る途中の右側の歩道の柳の木の下に陣取っていた。根津神社の境内に面しており、その向かいが日本医科大で、引っ切り無しに救急車が出入りしていた。オヤジの歳の頃は60くらい、秋田出身で鼻にかかる立派なずうずう弁を流暢に話した。若い頃は炭鉱で働いていたと言うだけあって、小柄だが腕は大きく指の先端は丸太く、節々はモッコリしているのがはっきりと分った。オヤジは荒川の辺に住居が在り、雨の日以外はほぼ毎日屋台のリヤカーを牽き、2時間かけて根津まで通っていた。夜7時ころに現場に到着すると、近くの銭湯に行って汗を流し、それからの開店であるから、概ね9時を回らないと「おでん」に有り付けない。勿論、風呂の間は屋台は開いておらず、リヤカーは路肩にただ止めてあった。当時は朝方まで研究室にいるのは普通であったから、夜中の2時、3時に自転車を走らせ「ホームラン」で5杯~10杯くらいの日本酒の燗を頂くのが最高の贅沢であった。朝5時が閉店だった。オヤジは月に1度は客に勧められた酒で大いに酔っ払って、太っ腹になり、残りのおでんはサービスとなることがあった。もう20年以上前のことだから、当然ながら「ホームラン」は今は無い。小生が離京して2年位で根津には現れなくなった。「ホームラン」のおでんのネタは32種類あり、「爆弾」というネタが玉子を練り物で包んだものであること、茹蛸の足はおでんの汁に浸けずにそのまま和芥子で刺身風に食うのが旨いことなどをオヤジに教えてもらった。「ホームラン」では32種類のおでん全部を一晩で食った場合、御代がタダであった。10年で4、5人居たとオヤジは言っていたが、小生が通った3年間、それに挑戦している客に遭遇したことはなかった。一人で来る美人の客も何人かいた。皆、紳士と淑女で喧嘩など1度も見たことが無かった。
  
  旨い「おでん屋」とはどんなものだろう。先ずは、店構え(戸口の門構え)が和風であること、暖簾に控えめの赤提灯が灯るのが好ましい。店内は清潔でないといけない。店主が「おでん」好きであること。出汁が良く取れていること。ネタ(種)の種類が多く、特に魚類の練り物が豊富なこと。牛スジや軟骨(豚)があること。豆腐は芯まで程よく味が滲みて、腑抜けが出来る寸前のものを提供してくれること。里芋やジャガイモの根菜類があること。「おでん」は鍋物であるから、春菊を常備しており、汁にしゃぶしゃぶ風に潜らせ、葉が撓える寸前で提供すること。和芥子は程よく鼻を突いてくれること、時に涙も誘って貰いたいものだ。特に豆腐に合う柚子胡椒も欲しい。卵は黄身をそっくりそのまま残しても嫌な顔をされない。汁は勿論熱くないといけない。最後に汁と旨みたっぷりの残渣を完璧に飲み干すのに容易な器であること。酒燗器を兼備していること。・・・・・などなど。それに一度に5個以上のネタを注文しても聞き返さない程に記憶力が良いと言うか、商売に気合の入った店主のいる店。聞き返されると、こっちが忘れていて戸惑うからだ。「おでん」や「鮨」、「天麩羅」の類は、好みも勿論だが、その日の雰囲気や勢いで注文する処があるから、楽しいではないか。店主との掛合に気分も高揚し、酒がススム処が何ともオモシロイ。銀座8丁目の「お多幸」は味もだが、この掛合に魅かれる。

  小生の大の好みの一品ははんぺん(半片)である。エソやタラなどの白身魚のすり身に、卵白、山芋、澱粉などを加えて練り込んだものだ。「はんぺんは片面のみが少し萎えた位が旨い」と教えてくれたのは、他でもない「ホームラン」のオヤジだ。はんぺんを食うときはいつもオヤジの「ィよー、お待ヅー」の威勢のいい声が聞こえる。

  「おでん」はやっぱり屋台がいい。凍えながら・・・、飲んでもその凍えでなかなかに酔えない。人生を語り、また飲む。県庁の楠並木か橘公園、高松の夜間病院の近くの天満橋の上にでも屋台が並ばないものか。

  因みに「ホームラン」は関西風。関東焚のお勧めは銀座8丁目の「お多幸」。宮崎では「味処・集(しゅう)」(宮崎市橘東2丁目、電話0985-24-0788)がオススメ(写真下)。

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