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原理原則と虚心坦懐

 横田滋さんが87歳で他界された。悲しい。私も横田めぐみさんとは同年代。どうしてこのような悲しいことが起こったのか、どうして拉致が実行され、親子の分断がある日突然、13歳の子供が横田家から忽然と消えなければなかったのか。日本国、何千万人の中の若者のひとりに、めぐみさんは標的とされたのか、あまりにも悲運不運だ。遠い遣隋使、それよりもさらに昔の縄文の時代から我が国は朝鮮半島との拒むに避けられない付き合いがありながら、こともあろうに敵対し、最近では日露戦争、日韓併合、そして満州国建設、さらに日中戦争、さらにさらには太平洋戦争というドミノ式の侵略戦争を繰り返し、朝鮮半島と大陸とを苦しめ続けた。私はなにも反愛国者ではない。日本人であり日本国が大好きだ。それでも歴史を直視しなければ、めぐみさんは還ってこれなかった。これが現実だ。これらの度重なる侵略戦争で、果たして日本国は朝鮮半島に限らず大陸の人々の命をどれだけ奪ったのであろうか。日中戦争から太平洋戦争まで、中国人の犠牲は死者だけで1千万人、占領下での朝鮮半島でも数十万人は下らない。今きょうも近所の焼鳥屋で小一時間呑んで帰って来たが、今日はこれだけは主張しなければ床に就けない。横田さんとはテレビ画面でかれこれ20年以上も向き合ってきたのだから・・・・・・許してもらおう。戯言に聞こえるかもしれないが、俺の本音を。日本国の指導者は、他国の国家民族の根こそぎの侵略・属国化がどういうかたちで遂行され、その顛末として彼らの仇討ちを何百年も蒙ることになるか、なっているかを・・・・・・知らなければならない。江戸の敵を長崎で討つ・・・・・・全然関係のない処でもいざこざが常に生じている現状を認識しなければならない。本当は戦後すぐにでも土下座して戦時の蛮行を悔いるべきであったのだが、今はもう疾うに遅きに失したのだが。しかし大局にして俯瞰すれば、それは必ずしも不可能ではない。多くの両国民がそれを望んでいるのを疑わないし、これ(拉致問題)を解決しうる手だてを担うのは、むろん両国のトップだ。13歳の女子は厳寒の日本海を目隠しされ袋詰めにされて連れ去られ、今もって人生を奪われ続けている。横田滋さんの一生を想うと、やはり早々に拉致問題を解決し、その無念を晴らさなければならない。別盃・黙禱。6月6日。

追記:我々が子供の頃、悪いことをすると、「人さらいが来るぞ」とよく親に怒られた。そのころから拉致の噂が全国に拡散していたのだろうが、それは真実であったと云うことだ。横田めぐみさんが拉致されたのは、1977年11月15日。新潟の11月の夕刻はかなりの寒さだろう。未だ13歳の中学1年生。麻疹で入学式に出られなかった彼女を後日、校庭の満開の桜の下に連れ出し(彼女はひとりだけの撮影を少々嫌がったと云う)、滋さんはカメラにおさめた。戦後20年以上が経過していた当時、日本国の海上防衛その他はまったくの杜撰で機能してなかったと云うことだ。国の、われわれ国民の、責任は大きい。6月7日。

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