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今週の親仁ギャグ・2017年11月26日(日)~12月2日(土)

●無責任の門外漢だけに、想像力は場外の番外編だ。白鵬の史上最多の40回優勝で幕を閉じた九州場所。明日からは土俵外の初日だ。土手で見えなかった真相が少しずつ見え隠れする藪の情況になりつつある。貴乃花親方が何を何時語るのかが焦点だが、親方の信念や思想が分かってきたような気がする。モンゴル会(飲食会)への参加禁止・所属部屋以外の力士との飲食の禁止を主張している親方。貴乃花は名実ともに大横綱。その親方をさて置いて、モンゴル出身の現役3横綱が”モンゴル会”と銘打つ飲食会でモンゴル出身の若手力士を”可愛がる”という慣例行事。このモンゴル会の所行は多分、協会も承知しているところであろう。簡潔に言うなら、貴ノ岩(前頭8枚目)にとって、部屋の親方(今回は貴乃花)よりもモンゴルの現役3横綱の方が”格上”と云うことだ。若くて番付の低いモンゴル力士にとってモンゴル出身現役横綱は日本の親方よりも偉いんであります。この九州場所の幕内(前頭以上)力士は全部で42名、そのうちモンゴル出身は3横綱含め9名。優勝も8割がたモンゴル横綱である。このままだとどこの国の国技やらと疑いもしたくなる。ごく近い将来のはなしだ。それをも危惧しての貴乃花親方の小中一貫相撲学校設立等の提案なのであろう。こんどの暴行事件はなかなか奥が深すぎて、政治や国際問題にも発展しかねない、軽々には語れない問題なのだ。11月26日。

●高大連携歴史教育研究会(高大研)は、高校歴史教科書の用語を半減し、暗記より思考重視にシフトさせる考えを表明した。坂本龍馬や高杉晋作、吉田松陰らも削減に含まれる。龍馬に至っては司馬遼太郎の歴史小説「竜馬がゆく」の人気に負うところが大きいと指摘する学者もある。龍馬の最大の功績は、1863年の八月十八日の政変を境に犬猿の仲となった薩長の両藩を1866年1月21日、再び結び付けたことである。もしこの「薩長同盟」がなかったなら、その後の第二次長州征討(1866年6月7日~8月30日)や大政奉還(1867年10月14日)、戊辰戦争(1868年1月3日~1869年5月18日)、そして明治維新後の政治体制(薩長閥)はどのような顛末をたどったのだろうか。薩長同盟を斡旋した龍馬はその直後、寺田屋事件(1866年1月23日・伏見奉行の林肥後守忠交の捕り方が龍馬を捕縛ないしは暗殺しようとした事件)で命を落としかけた。西郷隆盛の計らいで薩摩に身を隠し(お龍と霧島へ日本最初の新婚旅行)、その年の6月に起こった小倉口の戦(第二次長州征討=四境戦争)に参戦して奇兵隊を結成(1863年12月)した高杉晋作を助けた。奇兵隊は日本陸軍の前身である。奇兵隊は功山寺で決起(1864年12月15日)されたが、最初の戦いは藩内の主導権を争った「大田絵堂の戦」(1865年1月6日~19日)である。いずれにしても維新後、明治政府の重鎮となった木戸孝允(桂小五郎)も伊藤博文(俊輔)も、井上馨(聞多)そして山県有朋(狂介)も皆、晋作の子分格である。:年号はすべて旧暦つづく。11月26日。

●11月19日付けの日本経済新聞の社会面(31項)に「高校歴史『用語半減を』 暗記より思考重視」という見出しで、このところ増え続けている用語を減らし、暗記から思考の楽しさを発揚する教育に転換すると云う。用語はこの10年で1割、1950年代からは3割弱増えたとのこと。つづく。11月26日。

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