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今週の親仁ギャグ・2013年12月29日(日)~2014年1月4日(土)

最近、スタッフに神風特攻隊の話を聞いてもらっている途中、「先生は戦争が好きなんですか」と返された。「特攻隊のように先の大戦が美化されるようではいけないねぇ・・・」と応えた。するとそのスタッフは「私も、特攻隊は自ら志願して行ったと習いました」と言った。司馬遼太郎の「殉死」(文春文庫)は日露戦争の第三軍司令官で陸軍大将の乃木希典とその参謀長の伊地知幸介をことごとく扱きおろしている。愚将の典型としてこれでもかというほどにその策謀(度重ねる突撃もいわゆる白刃の肉弾戦であり作戦にいくらかの工夫がない)の無さに論難を浴びせている。彼らの愚攻により不必要な幾千幾万の生命が散ったことであろう。これは当然、旅順のロシア軍要塞攻撃の戦禍のことだ。司馬遼太郎は明治までの日本の歴史小説を生むことに躊躇しなかったが、昭和は書けないと明言している。今、そのタブーの蓋が開けられ、大戦という昭和の歴史にメスが入れられ「解剖」されようとしている。少なくともその兆しが明らかに芽吹いてきた。さきの文芸春秋の神風特攻隊の話にしても、どちらかと言えば右寄りの同雑誌が大戦歴史に真っ向から異論を唱え始めたのは喜ばしい。歴史が創作あるいは歪曲されることなく真実が白日の下にさらされなければ正しい「真の歴史認識」は生まれないし、20歳前後で敵艦に突っ込んだ若者の英霊は浮かばれない。真の歴史認識は如何に戦争がばかばかしい愚かなことであるかをきっと教えてくれる。創られた偽の歴史認識はナショナリズムを煽り、そしてまた戦争が繰り返されるつづく2014年の最初の「親仁ギャグ」。1月4日。

実際の戦場に出向いた軍人がその実相を語るべきだと信じてきたが・・・戦後68年を過ぎた今日に至っても彼らの口からその真相が漏れ出ることは少ない。今、アメリカや日本の一部からその実相が明らかにされようとしている。その一つが今月発売の文芸春秋に「『国難に殉じた』の美辞麗句で語るなかれ」神風特攻『敷島隊出撃』の真実(森史朗)」にある。大西瀧治郎中将が発案したとされる「神風特攻隊」はあくまでも「志願」を基本としたが、その実「志願」は形式であり、隊員は「命令」で敵戦艦に突っ込んだ。なかには志願した隊員もいたにちがいなかろうが・・・少なくともすべてが「志願」ではなかった。司馬遼太郎氏が書いているように、最前線の作戦失敗の責任を取らされ自決に追い込まれた下士官もいたにちがいない。これらは実相の一部に過ぎず、戦争を体験した人たちが真実を語れない理由はここらにあるのではないか・・・だから彼らが生きている間は戦争の核心がつまびらかにならない・・・ということだ。とまれ、最近になって世界中で大戦の総括がなされようとしているのは確かだ。その点、我が国の大将である安倍ちゃんは時代を逆走している。もっと言及すれば、日本人(ここでは軍人)のすべてが国のために戦って死んだとは言えないということだ。自分(上官)の保身や戦功(手柄)のために権力をもって仲間(部下)を犠牲にした可能性が大いにあるということだ。すべての霊魂が「英霊」ではないということだ。このような解釈の方が実相に近いのではないかつづく。12月31日。

●どこまで真か・・・松坂牛の仕上げ段階でビールを飲ませる飼育法は下戸で煙草も呑まない畜主が自分の飼っている牛に「晩酌の気持ちを味わ(あ)わせたい」との思いから・・・という。前沢牛にリンゴという話も聞いたことがある。ではドングリを与えるイベリコはあまりに有名だが・・・宮崎(鹿児島が先行?)でも茶葉サツマイモなどといった特定のものを混ぜて飼養することでブランドを勝ち取った先例がある。宮崎牛もそういった観点からのブランド確立が「てっぺんを獲る」早道だな。12月30日。

●27日、所用あって福岡へ・・・天神の「岩田屋」と「三越」で買い物をして、ちと愕然とし、がっかりもした。それは地階の精肉や食料品売り場を散策するに、「宮崎牛」の文字を見出せなかった。佐賀牛、山形牛、松坂牛といったブランドが独占しているではないか。2回連続の日本チャンピオン牛は何処へおじゃったか。宮崎県出身で在京の有名シェフを動員しての宣伝だけでは・・・全国区に躍如できるのやら甚だ疑問を感じていたが・・・やはり九州でさえマイナー牛(そうA5、A4の下は3A=マイナーなのだ)である。堺雅人でもよろしいし・・・今よりもっと一般受けするタレントを担ぎ出すことが必要だな。それに何よりもかによりももデパートならデパートで、そこへ直接乱入し担当者に強烈な売り込み作戦を展開することが重要だ。そして先ずはショーケースの片隅にでも1塊でもよいから並べて貰う事だな。その点、そのまんまのあの人は売り子としては最適任であったということだ。戦略の宣伝法を改めない限り、「宮崎牛のてっぺん」は遠いつづく。12月30日。

朝鮮半島は35年間(1910~1945)、満州は13年間(1932~1945)も日本の占領下にあった。朝鮮半島におけるその実相はさらにさかのぼって日清戦争以前からである。占領した側である日本と占領された側。支配したものとされたもの。もしも日本が彼らの立場だったらどうであろう。歴史認識には相手側に立っての思慮が必要だ・・・これが最低限のエチケットであろうに。首相の靖国参拝を「非」とする日本人が「是」とするものを上まわった。せめてもの救いだ。さらに日本人が自らの歴史を正しく勉強して知れば、さらに良識は広まるつづく。12月30日。

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